NYAISASメールマガジン第66号に寄稿
著
(以下のだらだらとした自己紹介を、NYAISASメールマガジン第66号に寄稿させていただきました。このたびは発行を遅らせてしまい、申し訳ありませんでした。)
NYAISASメールマガジンでは、宇宙クラスタの皆さんの自己紹介などをいつも楽しく読ませていただいています。あまり積極的にTwitter上で交流するほうではないと思っていますし、イベントや飲み会等に顔を出す機会も少ないので、僕のことをご存知ない方のほうが圧倒的多数だと思います。それでも、宇宙クラスタの末席に名を連ねさせていただいているつもり(自称)なので、この場をお借りして自己紹介させていただきたく。
宇宙開発に対しては、幼少の頃から興味を抱いてきました。宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999といったアニメの影響も多分にあったでしょうが、明確なきっかけがあったとすれば、父に連れられて足を運んだ宇宙科学博覧会だったように思います。そのとき目にした、アポロ月着陸船やバイキング火星探査機の展示から強い影響を受けたことは、間違いないですね。
そしていつの日からか、将来は宇宙飛行士になりたいと思うようになりましたが、成長と共に知力・体力ともずば抜けたタイプではない=宇宙飛行士なんてなれっこない、という妙に現実的で冷めた感覚も抱き始め......将来は宇宙関連施設のトイレ掃除でも何でもいい、とにかく宇宙開発と少しでも関わりのある仕事に就きたいと考えるようになりました。中学生の時分には、宇宙開発事業団(NASDA)への就職を意識していました。
そんな考えに転機が訪れたのが、大学時代。早稲田大学宇宙航空研究会(WASA)というサークルに所属したのですけど、そこでなぜか宇宙開発ではなく人力飛行機の魅力にハマってしまったのです。機体の設計・製作に参加するのみならず、パイロットとして鳥人間コンテストに二度の出場(1994年と95年)。最初の挑戦ではうまく飛べませんでしたが、二度目では910.92メートルを飛行、人力プロペラ機部門で第四位を獲得。その間、本分であるハズの学業は、すっかり「上の空」でした。
サークルを引退して直ぐ学業に身を入れ直せば多少は挽回できたかもしれませんが、留年の可能性があるほど既に成績は悲惨なものとなっていました。つまり、NASDAへの就職など夢のまた夢という有様。加えて大学四年生になってからというもの、今度はインターネットブームの到来と共に始めたWebデザインのアルバイトに没頭。就職活動をするでも大学院を目指すでもなく、ただ目の前の「やりたいこと」だけに全力で取り組む日々......今振り返れば、なんとも気楽で自由を謳歌した時期でした。
しかし宇宙開発関連の仕事を得るという夢は諦めきれず、卒業後の進路として、国際宇宙大学夏期プログラムに参加することにしました。毎夏開催地を変えて催される10週間の教育プログラムなのですが、その年(1997年)は偶然にもNASAジョンソン宇宙センターのあるヒューストンで開催とのこと。人生の舵を切り直すならこのチャンスを逃す手はない、とばかりに願書を提出。規定の能力を満たしていなかった英語力については、直前までシアトルの語学学校に通うから大丈夫!と大見得を切りました。
そんなこんなで参加することになった国際宇宙大学。30近い国・地域から集まった、多様なバックグラウンドをもつ100人近くの参加者から、大いに刺激を受ける日々でした。途中、スペースシャトルの打上げ(STS-94)を見にフロリダまで行きましたし、若田さんや宇宙飛行士に選抜される前の星出さんのお目にかかる機会もありました。そうこうするうち、財団法人日本宇宙フォーラム(JSF)にお勤めの方とのご縁があって、大変ありがたいことに、帰国後は同財団で働く運びになりました。
JSFでの主な仕事は、NASDAの広報支援業務、より詳細にはWebサイトの管理・運用。企画立案から更新業務に至るまで、実に幅広く携わらせていただきました。ちなみに、ロケット打上げの際のインターネット中継は、今でこそ毎回当たり前のように実施されていますけど、実は僕がJSF在勤時にスタートした企画だったりします。やがて、まだ20代の移り気だった自分の興味・関心は、宇宙開発から再びWebデザインに移り始め......悩んだ末、Web業界への鞍替えを決意。転職した先は、かの堀江貴文氏が興したオン・ザ・エッヂという会社でした。
以来、何度か勤務先を変えながらも、今に至るまでWebデザインの仕事をしています。とはいえ、宇宙開発から完全に心が離れてしまうことはなく、途中一年間だけですがNASDAに出向した時期があったり(そういう意味ではNASDAのOBです)、個人的に打上げを見に種子島まで三度足を運んだり、2010年には山崎大地さんとのご縁から直子さんの打上げをフロリダまで見に行きもしました(そのとき、NASAの敷地内でNASA音頭を踊ってきたのですが、その話はまたいずれ)。そうそう、現在の勤務先から表彰を受け、Space Adventures社の宇宙弾道飛行の切符を手に入れていた時期もあります。残念ながら、その話は無くなってしまったのですけどね。
やっぱり、死ぬまでに一度で良いので地球の姿を宇宙から眺めたいと思っています。が、その前に直近では、来年末の若田さんが乗るソユーズの打上げを見に行きたいと思っています。実は今年、菊池涼子さんの同行でロシアの宇宙開発関連施設を巡るツアーに申し込んでいたのですけど、参加希望者が少なく不催行となり、大変残念な思いをしました。その無念を是非とも来年、晴らしたいのですけど......どなたか、ご一緒しませんか?