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グレート・ナラティブ

2023年、一冊目に読むのはこれしかなかろうということで、買ったまま放置していた(おい)『グレート・ナラティブ 「グレート・リセット」後の物語』を元日に読み始めて一気に読了。『グレート・リセット』を読んでから2年も経ってたんですね。本書については、ロシアがウクライナに侵攻するより前に執筆されており、その点ですでに陳腐化してしまった部分もあるかもだけど、いくらか前向きな気持ちになれたからヨシとします。

テクノロジーの進歩と、グローバリゼーションの副産物である「相互依存」は、21世紀を特徴づけるものだ。

その相互依存が高まれば高まるほど、世界秩序は安定するように楽観視していたのだけど、全然そんなことなかった......というのが痛いほどよくわかった2022年でした。そのいっぽう、相互依存性を低くしようとする直近の動きはあくまで短期的なもので、遠からず揺り戻しが訪れる気も。

自分によく似た考えの人とだけ親しくすることで真の人間的な関係を失い、重要なつながりが断たれてしまう。その結果、社会に分断と分極化が生じる。

エコーチェンバー、タコツボ化にまつわるお話。これまで自分は「分化」という言葉を使ってきたけど、なるほど「分極化」ね......分化だと、文脈によってはちょっと意味が広すぎたかもしれないと反省。辞書的に分極化は「対立する二つ以上の立場・勢力に分かれること」「思想上などで、もとは一つであったのに相対立する二つ以上の立場に分かれること」とありました。

政府機関、業界団体、個人の別を問わず、誰もが「既存の」大きな社会集団に直接働きかけて信頼と相互依存関係を構築できるようになったことで、社会の分極化が大きくなった。

「直接働きかけて信頼と相互依存関係を構築できるようになった」というのは、基本的に良いことだと捉えていますが、その副作用が社会の分極化とはね......必ずしも分極化が悪いことではない、とは思うし、エントロピー的には自然だとも思うけれど、難しいものだなあ。

ストーリーは自己完結性があり、始まり、中間、終わりがあるが(中略)ナラティブに決まった回答はない。

ストーリーとナラティブの違いに言及したくだり。なるほど、ストーリーは閉じているけどナラティブは開いてるんだ!!という気づき。ストーリーは閉鎖系で、ナラティブは開放系とも捉えられる。これ、すごくわかりやすいし面白いですね。

現代世界の特徴は「相互依存」と「システムの相互連結性」だ。

あえて相互依存と相互連結を分けているところが興味深いなと思いました。

私たちを取り巻く世界は非線形で、どんな「サイロ思考」にもきれいに収まらない問題であふれている。

世界は非線形、まさに言い得て妙。このくだりの直後に世界は複雑とか量子力学的な性質をもっているともあったし、尊敬する田坂広志先生が少しまえに書かれた「制御不能社会」の出現 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)でも現代の市場や社会や国家というシステムが、極めて高度な「複雑系」になったとあって、自分も同感。ただ、世界は単純なものから複雑なものへと変化したのか、それとも元来備わっていた複雑さを認知できる程度に私たちの観測技術が進化/深化した結果なのかは、よくわかりません。

社会が短期的に経験する痛みと長期的に目指す利益との乖離は、一部の政策決定者たちに「私の任期内ではない(NIMTOF)」症候群が広がっている理由だ。

NIMTOFという言葉、初めて知りました。ググってもなかなか出てこない......厳密な頭字語でもなく、Not in my term of officeから作られたっぽい。しかしこれは気候変動のようなクソデカイシューに限らず、あらゆる政治的判断に多かれ少なかれ付随するような気も。放っておけば簡単に短期目線に収斂するのは人間の性だから仕方ないとして、何をインセンティブとして中長期目線に持っていけるのか?

責任と結果の非対称性というこの重要な問題を、公平かつ公正に解決していかなければならない。

非対称性!!この言葉を昨年書いた研究成果報告書のなかで使いたかったですね......現在世代と将来世代のあいだでものすごく摩擦が起こり得るのが、まさにこの責任と結果の非対称性。くううう、なんてうまい言い回しなんだ。自分の貧弱な頭では思いつかなかったというか、もっと早く本書を読むべきでしたわ......。

人間は旧石器時代の感情、中世の制度、そして神のような技術をもっている

上記は博物学者のE・O・ウィルソン氏の言葉だそうですが、これもすごく的を射る表現。人間、政治、そして技術それぞれの変化の速さのギャップを見事に捉えているっていうのかな。笑い話のように聞こえて、ものすごく深刻なことを述べてもいる。はたしてこのギャップを縮めることはできるのか?

神経生物学と進化生物学において、すべての哺乳類と鳥類の種は生まれながらにして社会的であると示されたのだ。

初耳でした。同時に、目をつぶったり耳をふさぎたくなるような、社会性を損ねてしまった人間が起こしたとしか思えないような辛く悲しいニュースに接さざるを得ない現状を、どうすれば変えることができるのかと思うと、苦しいですね。順番で言ったらまずは教育から、なのかなあ。

ポリセントリック(複数の中心点をもつ)かつマルチスケール(複数の異なるレベルで活動する)なグローバルガバナンスの仕組み

大局的には中央集権的な仕組みを嫌う流れが強化されつつあって、それは先の分極化とも整合するトレンドではあるけど、その前提におけるガバナンスとして提案されているのがポリセントリック&マルチスケール。DAOとも異なる感じの概念かな、このほうがいくらか現実的と感じます。

「包摂性」という言葉が鍵だ。市民社会や地域の人々がより深く関与することなしには、効果的なグローバルガバナンスを支え協力しようとする意思は生まれない。

さんざん言い古されたフレーズではあるけど、Think Locally, Act Globally.を思い出しました。確かになあ、地球市民なんて言葉もあるけど、自分が住んでいる町や村を良くできずして、どうやって地球全体を良くできるんだよという話なら一理あります。

確かに人間は利己的で、思い込みが激しく、目先の利益にこだわるが、同時に深い思いやりがあり、他人の置かれた状況に敏感なものだ。自分の子どもや家族の将来だけでなく、他の人々や地球の将来にも関心がある。

人間のもつ想像力には期待してもいい、というふうに読みました。想像力があればこそ、未来に向けて時間軸を伸ばしたり、他の国や地域にまで空間認識を拡張し、共感のための土台を作ることができる。その端緒は、研究成果報告書を作成する一環で行なった生活者向けのアンケートでも感じていたこと。

楽観主義というのは、物事がどうなるかについての考え方というより、世界に対する現実的な姿勢ではないだろうか。

評価と対応は別物ってことですかね。なんとなく、悲観的に計画し楽観的に実行するってフレーズを思い出しました。どれだけ悲観的に現状を評価せざるを得なくても、生きていく限りは楽観的に対応せざるを得ないのだ、と自分は解釈しました。

トルストイの有名な言葉に、「誰もが世界を変えようと考えるが、自分自身を変えようと考える者はいない」というものがある

やっぱり、隗より始めよってやつですね。がんばります。

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