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Re: 【メガトレンド】人生100年時代を支える「アップデータブルな身体」

少し前に、【メガトレンド】人生100年時代を支える「アップデータブルな身体」という記事を読みました。MITのメディアラボっていうと、即座に伊藤穰一氏だとか石井裕氏のお名前が思い浮かぶのですけど、記事で取り上げられている遠藤謙氏のような、日本人で別の凄い方もいらっしゃったのですね。内容的にとても興味深かったのですが、

眼鏡は当たり前のものとして定着しましたが、義足はまだ社会に定着していません。僕はテクノロジーと同時に、そういった社会的な意識の変革にすごく興味があります。義足ランナーが健常者よりも速く走ったら、その人は障害者として扱われるのか。

これは自分もすごく興味ありますね。障害者の「障害」を医学モデルと社会モデルとに分けて考えるとき、主に前者は技術で、後者は法律によって克服できるという楽観的な見方を自分はしているのですが、技術の進歩によって身体機能の補填なり拡張が完全に可能となったとき、社会モデル側に属する障害だとか、あるいはそれを解消する法律の側には、一体どのような変化が求められるのか。

でも、最近はもうちょっと多様化してもいいんじゃないかなっていう風潮がありますよね。大量生産の時代が限界を迎え、個人個人の違いを生み出す社会や、それが経済合理的に成り立つ方法ってなんだろうと考えること。それが、今の流行りだと思うんです。

上記のくだりは、自分が取り組んでいるところのWebアクセシビリティと無理やり紐づけて読むと、なかなか興味深いです。経済合理的でなければアクセシビリティは普及させにくい側面があって、そこのところをどうロジカルに説き伏せるかっていうのが数年来の課題であり続けている認識があり、うまくいったものもいかなかったものも含めさまざまな論説が生まれたけれど、いまいちまだ「突き抜けてない」感があるのですよね。そのあたりのモヤモヤは過去に

で言語化を試みてきたのだけど、結局のところ経済的に合理であることの意味が本質的に変わらないと、なかなか明るい未来を描きにくいなって思っていて。それが前述の遠藤氏の言葉を受けて考えるとまさにフィットするというか、多様性を是とし多様性を受け入れるほど(=アクセシブルなほど)、その製品やサービスに経済的価値が認められるようにしていかないといけないんじゃないかなと。一時の流行りなんかではなく、根本的に。

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