多様性と経済合理性のあいだ
著
2017年、自分から見える範囲でのWebアクセシビリティ界隈(何処)は、以前に増して盛り上がりを見せていたように思います。『インクルーシブHTML+CSS & JavaScript』が発売されたり、Japan Accessibility Conferenceが開催されたり。そして受託系寄りから事業系寄りへと、Webアクセシビリティの言わば「盛り上げ役」がシフトしたように映ったのが、印象的な一年でありました。
前述のインクルーシブ本を監修された太田さん、伊原さんが揃って受託系から事業系に転職されたのは、そのシフトを象徴するイベントだったように思います。こと盛り上げ役に関しては受諾系、事業系の別を問わず、特定の人や組織に偏っている印象が根強くありますが、アクセシビリティ文脈とUX文脈がよりシームレスに接続されつつあるなか、来たる2018年にはより多くの方々が盛り上げ役に加わることを、個人的に期待したいと思います。
翻って、今年一年の自分のアクセシビリティに対する取組みを振り返れば、電子書籍方面に首を突っ込み始めたのが一番の変化。もちろん、その背景には2月にあったW3CとIDPFの統合があり、いよいよ出版とWebの融合が本格化、電子書籍が本質的にWebコンテンツと同等の位置付けになろうとしている機運があります。いずれ、Techniques for WCAG 2.1が定期的に更新される頃には、EPUBに特化したセクションが設けられるのではないかしら(知らないけど)。
電子書籍のアクセシビリティに関わり始めたおかげで、11月には自分にとって完全にアウェーだった図書館総合展で登壇する機会をいただきました。その際に改めて感じたのは、世の中に紙の書籍は星の数ほどあれど、それがいつでも・誰でも利用できる(つまりアクセシブルな)状態に電子化された割合はまだまだ少なく、敢えて大げさに書くなら「知の解放」がなされていないのではないか? ということ。逆にいえば、アクセシブルな電子書籍が少ないことに起因する「知の独占」により、不利益を被っている人が少なくないのではないか? ということ。
もしも、この世のあらゆる書籍が、いやあらゆる「情報」が、Web技術を活用しアクセシブルな実装で電子化されたら......膨大な量の情報にS/N比の悩ましさは常に付いて回るにせよ、総じてアクセスできなかったことのデメリットより、アクセス可能となるメリットが上回るはず。S/N比の調整は、いずれAI的アプローチが解決するかもしれないし(というか、そうなって欲しい)。そしていずれは教育や就労の改善を経て、社会全体に大きな経済効果を生むのではないか......そう考えるようになった契機のひとつが、東洋大学の山田先生がお書きになったアクセシビリティの不備が消費に与える影響という記事:
英国には1190万人の障害者がおり800億ポンドに相当する消費パワーを持っているが、店舗側のアクセシビリティ不備で一部は支出されていない。Extra Costs Commissionが調査したところ、障害のある顧客の75%がアクセシビリティの問題に直面し、英国の企業は毎週4億2千万ポンドに相当する売り上げを失っているとわかったという。この記事でアクセシビリティ不備とは、車いすでは店に入れない、店員が対応してくれないといった問題からウェブから情報が取得できない問題までを含む。
自分は前述の通り、情報のアクセシビリティを確保することは、概して経済合理的だと考えます。しかし、合理的であると判断できるまでに足る時間の長さはどの程度なのか(そもそも計測に基づく客観的な判断は可能か、という問いはさておき)。目先の、ごく短期的な範囲であればまだ可能に思えるけれど、もっとうんと先を見通した、中長期的な視点からの経済合理性はどうでしょう? 先に自分は「社会全体に大きな経済効果を生むのではないか」との楽観を書きましたが、それを検証できるようになるのは、情報アクセシビリティを高めてからどれぐらい後のことになるでしょう?
あくまで主観ですが、年を追うごとに経済活動全体が忙しなく、ごく短期間のうちにリターンを求められるよう変化し続けている気がします。高速PDCAサイクルなんてフレーズが語られるくらいですからね。その前提ではなかなか、中長期的な視点に立ってリターンを期待するとか、あるいはリターンを(完全にではないにせよ)計測するといったことは、難しいように思えます。かといって、それを理由にアクセシビリティの確保を見送ったり縮小するようなことがあれば、だいぶ切なく寂しい感じがします。
そもそもWebのアクセシビリティに関して言えば元来、その必要性とか意義はもっとシンプルな話だったはずとも思うんです。もともとは、ごく一部の限られた人々が、限られた環境で利用するだけの存在だったWebが、今や世界中の数多くの人々によって、実に多種多様なデバイスから、さまざまな方法でアクセスされるように(できるまでに)発展した結果、Webを利用してコンテンツを流通させる立場にはそうしたニーズに応える必然が生じたし、応えられるだけのポテンシャルがWeb技術にはあった(というかそういう方向に仕様も実装も進化し続けてきた)。ただそれだけのことで、そのポテンシャルを(程度の差はあれ)発揮すればするほど多様なニーズに応え、Webらしい・Webならではの可能性を最大化できるわけで、そこに一定の経済合理性は伴うはず。
先月、見える世界と見えない世界をつなぐ映画の音声ガイドが教えてくれることというイベントに参加した際、感想として結局、人は本質的に多様であり、またそうであるがゆえに自身の受けるサービスにも多様性を求める......そこにこそ技術が大いに活きる余地がある
という覚え書きをしました。応えるべき多様性の幅が広がれば広がるほど、対応コストは高くつくのが一般論ですが、ことデジタルコンテンツ、とりわけWeb技術を適用したものに関しては、そうでないものと比べ相対的に低コストで対応が可能と考えられ、そこに経済合理性は成り立っているのではないか......とも思います。厳密な意味での検証は難しそうですが。
あらゆる分野・領域において、自然に抗うようなことを意図的に働かない限り、基本的に物事は分化し多様性を増し続ける。自分にとって、あたかもその種の不可逆変化が宇宙の真理であるかのように思えている節があるのですけど(ちょうど熱力学第二法則のように)、今の世の中、その分化という大きな流れのあちらこちらで、多様性と経済合理性がせめぎ合っているように思えるのは、僕の気のせいなのでしょうかね。それでも楽天的に信じたい、いずれ人の叡智はそのせめぎ合いを超越したところにより良いバランス、多様性と経済合理性の両立を見出すと。場合によっては、経済の仕組みの側に変革だとか、それに伴う痛みが必要になるかもしれないけれど。
だいぶまとまらなくなってきたので、今年のWeb Accessibility Advent Calendar 2017 - Adventar向けのポエムについては、いったん筆を置こうと思います(投げやり)。それにしても、1日たりとも抜け漏れが発生することなく日々記事をアップしてくださった、アドベントカレンダー参加者の皆様に深く感謝。その多くは、過去の回にも参加してくださった方々とはいえ、視点や切り口の異なる記事を日々楽しめたのは、とてもありがたく思いました。引き続き来年も、何らかの形でWebの、デジタルコンテンツ全般の、ひいては「情報の」アクセシビリティ向上に携わっていきたいと思います。