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見える世界と見えない世界をつなぐ映画の音声ガイドが教えてくれること

11月24日の覚え書き。最近何かと接点のある(つい先日のOpen Research Forum 2017会場でもお会いした)植村 要さんが登壇されるというので、日比谷カレッジ見える世界と見えない世界をつなぐ映画の音声ガイドが教えてくれること」に参加しました。もうお一方の登壇者というか講師の平塚 千穂子氏は、自分が通勤で日々前を通っている(割にまだ一度もお邪魔したことがない)ユニバーサルシアター、CINEMA Chupki TABATAの代表をされています。プロフィールを見ると1972年のお生まれで、しかも早稲田大学教育学部卒ってことは、キャンパスは違えど学生時代に高田馬場とかでニアミスしていたかもですね。

仕事柄、Webのアクセシビリティに関わっていながら、映画の音声ガイドについてはまるで無知だったので、それが一体どういうもので、またどのように作られているのかを知る、絶好の機会となりました。ちょっとしたワークショップみたいな......『夕凪の街 桜の国』『プリティ・ウーマン』の2作品を引き合いに、単なる音声だけ、音声ガイド付き、そして映像付きの3パターンでいくつかのシーンを見比べ(聞き比べ?)ることにより、音声ガイドの果たす役割を実感できただけでも、とても良い勉強になりました。

初めて耳にした音声ガイドの印象は、抑揚がなく淡々としていて、事前の予想に反し独自の解釈は加えておらず、極めて忠実に映像にあるシーンを読み上げている、というもの。しかし登場人物の台詞に被せないよう、シーンの変化に合わせつつ、シーンが伝えていることに絞り込んで言葉を選ぶというのは、国語力の乏しい自分には想像を絶する苦労が伴うように思います。なんでも言葉選びのプロセスには、演出意図や映画全体を踏まえての位置付けなどの考察が不可欠だそうで。平塚氏曰く、視覚障害当事者によるモニターや、複数人での議論を通じ、見えているようで見えていなかった、分かっていたようでそうでなかったことに、よく気づかされるそうです。

なるほどなぁと思ったのが、面白さを伝えることの重要性。それができないと、晴眼者と一緒に映画を見たとして、同じタイミングで笑ったり泣いたりできないわけで、切ないのですね。なぜ笑いが起きたのか、笑っている人にその場で解説を求めるわけにもいかないし(映画はどんどん進んでいくので)。洋画を見ていて、英語がわかる外国人と同じタイミングで笑えないのと同じ、という例え話は良く分かりました。あと、いわゆる濡れ場のシーンをどう扱うか。身体の動きをどこまで言語化すべきかって話ですけど、植村さん曰く、あまり事細かに説明されすぎても体操の解説に聞こえてしまい、エロくなくなるそうですw

お二人の話を聞けば聞くほど、音声ガイドの制作は、まさにもう一本別の映画を作るのに近いプロセスと労力が必要という印象を受けました。何と言っても、繰り返しになりますが、言葉の選び方は難しく聞こえますね......いつ、何を伝えるべきか。過剰な解説はあまりよろしくない(というか時間の尺的に難しい)一方で、あまり無粋になってもいけないという。質疑応答において、映画の監督さんには受け取り方を観客に委ねるタイプと、そうではなく監督の趣意を強制するタイプとがいる、みたいな話を聞くにつけますます、自分には無理ゲーな作業だなぁと。

帰り道、果たして音声ガイドの制作も、いずれはAI的な技術なんかで自動化される日が来るのだろうか? そんなことを思いながら、日比谷図書文化館から有楽町駅までの道を歩きました。視覚障害が先天的か後天的かによって必要とする情報量には違いがあり得るため、いずれは複数の種類の音声ガイドから選択できると良いかも......というお話も質疑応答の中で出てましたけど、それを実現するにはますます、機械で省力化できるところはしないと不可能のはず。結局、人は本質的に多様であり、またそうであるがゆえに自身の受けるサービスにも多様性を求める......そこにこそ技術が大いに活きる余地がある。そんな思いを新たにした夜でした。

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