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Fw: 【二十歳のころ 大西卓哉(2)】"鳥人間"に青春捧げた東大時代

【二十歳のころ 大西卓哉(2)】"鳥人間"に青春捧げた東大時代 (サンケイスポーツ) - Yahoo!ニュースという記事を読みました。日本人宇宙飛行士と鳥人間といえば、若田光一さんが第11〜13回大会に九州大学チームの一員として滑空機部門に出場されていたのが有名だと思いますけど、大西さんは僕と同じく人力飛行機のほうで鳥人間コンテストを目指して活動されていたのですね。

サークル名は「飛行理論実践委員会」。英語の頭文字を取ってF-TEC。学科で学んだ飛行機の論理、飛ばし方、空気力学を実践する場でした。活動の主力だった大学4年のときは、泣きましたよ。鳥人間コンテストには当時、「滑空機部門」「人力部門」があって、ボクらは人力をやっていました。会場の滋賀・琵琶湖まで機体を持っていき、1日目の滑空機部門はなんとか終わったんですが、天候がよくなくて。なんと2日目は台風が直撃。それで、中止です。当日の朝に通告されて、『マジかよ~』って。

記事中に言及がありませんが、大変残念なことに、ご出身のサークルであるF-tecは2015年3月をもって解散しています。顧問より「そもそも安全管理意識、航空工学やその他工学に関する知識が足りていない」との指摘があり、以後の試験飛行の実施が禁止された結果、出場資格を有していたにもかかわらず2014年の鳥人間コンテストを辞退した......との経緯がF-tecの現状について | 東京大学F-tecに記されています(鳥人間コンテストの「出場辞退」の裏にある問題点 | スラドも参照)。

閑話休題、記事中2日目は台風が直撃。それで、中止です。とあるのは、1997年の第21回大会のことですね。鳥人間コンテスト選手権大会 - Wikipediaにあるように、この年は台風9号直撃のため大会史上初の競技全面中止となった年です。この時の大会中止がきっかけとなって日大OBチーム「Team Typhoon #09」が組織され、色々あって自分も同チームに合流することになったから、台風9号のことは割と覚えていたりします(Sakuzo VI / Team Typhoon #09 プチ同窓会参照)。

型(けい)の違うパイプの断面を接合させるため、数学が得意の仲間にカットする曲線を計算してもらってはりつけて削ったり。このときの仲間は、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が募集した宇宙飛行士の選抜試験でも顔を合わせました。

「型」じゃなくて「径」じゃない? というのはさておき、サークルの同輩の方と宇宙飛行士選抜で鉢合わせしていたというのは初耳ですし、興味深いですね。若田さん、大西さんの他にも、宇宙業界で活躍する鳥人間経験者(滑空機と人力飛行機の別を問わず)は大勢いらっしゃるのかもしれません。そもそも鳥人間コンテストは今年で41回目を数えるくらいですから、経験者という括りでは相当数いらっしゃるわけですけど。

結局、その年に使用できなかった機体は東大のカラー「淡青」から取って「たんせい5号」と名付けられ、次の学年にそのまま引き継がれました。翌年は大空へ。200メートルくらいの飛行でしたけど...。

......(WASA現役時代の記録では)勝ったな、とか思ったのですけど、翌年というのが1998年の第22回大会なら、F-tecのTANSEI 98は1,224メートルを飛んでいて、全然勝ってなかったんですよね。これは大西さんの記憶違いなのか、どうなのか。

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