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有人宇宙開発を支持する理由

日本宇宙フォーラム在勤当時以来、大変お世話になっている寺薗さんの書いた、有人宇宙開発への道・その0という記事を読みました。またその発端にある、鈴木一人氏の寺薗先生の有人宇宙推進論についてという記事にも、目を通しました。お二人の書かれた内容にさほど目新しいところはなく、つまりは有人宇宙開発を「国家が」推進することの意義や正当性をどこにどう見出すのか?という、昔からよく目にする議論であって、全体的に「うんうんまぁそうですよねー」という感想。一つ気になったのは、鈴木氏の

死者を出す覚悟が出来ていなかった、というのはその通りだと思うのだが、問題はそれだけではないようにも考えている。死者を出す覚悟がなかったのはJAXAと宇宙開発委員会の及び腰が原因で、有人宇宙事業に対する国民的支持は大きく、世論形成は出来ていたと思う。

というくだりが本当にそうだろうか?本当ならその裏付けは何か?という点。定量的な調査結果があるのなら、それを示していただきたかったですね。もっと言ってしまうと、死者を出す覚悟云々についても、(まだしたことが無ければ)ちゃんと意識調査すべきでしょう。幸い、これまでの有人宇宙開発の歴史において日本人が死亡するケースは無かったけれど、可能性自体はゼロではなかったわけで、果たしてその可能性がどの程度認識されてきたのか気になります(まさか、絶対に死ぬことは無いだなんておめでたい思考の国民ばかりではありますまい)。もっとも、仮に認識の浅さが判明したところで、今後も国家が(独自の輸送手段を持つか否かを問わず)有人宇宙開発を継続する前提において、もっと国民に死の危険性を周知のうえ賛同を得るような面倒極まりない手順を踏むべきかどうかは、全く別の議論になるでしょうが。そして、寺薗さんの

私自身の大変拙いツイートにお応え下さった鈴木先生に改めて感謝申し上げると共に、今回のやり取りを通して、宇宙開発に携わる人、宇宙開発を愛する人たちが、いろいろな形で「自分たちがやって行きたいこと」に声を上げて下さることを望む。

との問いかけに対し、既に一応140字に収めるかたちでつぶやいたけれど、国家であれ民間であれ有人宇宙開発を推進することに僕は賛成の立場。なぜか?死ぬまでに一度でも宇宙から自分の生まれた惑星を心行くまで眺めたい、ただそれだけ。いまだその行為が、一部の選ばれた人間(=職業的宇宙飛行士)や超お金持ちだけに許された特権のままという現状について、理解はすれど納得はしていません。だからこそ、自分のような凡人であっても宇宙に行けるチャンスを広げるすべてを肯定し、また支持するつもり(幼稚すぎるとの批判があれば受け入れます)。

まぁ国家と民間のどちらかでかって話については、圧倒的に民間に期待してますけどね......サンクコスト云々、確かに議論するにはデータは不足してるかもしれないけれど、結局のところどの程度の期間を切り出し結論づけるか次第でどっちにも転ぶ話なのでは?でもって、その手の話はあまり国家向きじゃないですよね......もちろん「民間だから」サンクコストを度外視できるとも度外視して良いとも思わないけれど。ああなんかもっとちゃんと(謎)書くつもりだったけれど、今日のところはこのへんで。最後に、今年2月にシンポジウム「宇宙にひろがる人類文明の未来」に参加したときの個人的総括を引用しておきます:

経済合理性にどれだけ抗って多様性を担保し続けられるかが、人類の生存の維持可能性と宇宙進出にとって本質的な命題であるように感じました。バランスが難しいけれど、合理性というしがらみを部分的にでも断ち切って、「挑戦」をすることでしか新たな可能性の獲得、新たな活動領域=宇宙への進出というのは難しいだろうな、と。アポロ計画以後の失速において、常に人類が試されているように感じるのは、そういうところかな。

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