減速して自由に生きる
『君たちはFIRE後どう生きるか』の覚え書きで、「半分FIRE」云々について触れたけれど、今の自分にもっとしっくりくるキーワードっぽいなーと思って読んだのが『減速して自由に生きる——ダウンシフターズ』。
収入を減らしても自分の望む生き方にダウンシフトする人、つまりは"ダウンシフターズ"
「ダウンシフターズ」という言葉は本書で初めて目にしましたが、上記が定義であるならば、自分は間違いないくその「ダウンシフターズ」の一人だと思います。
経済成長が前提の時代には、規模拡大化への魅力やメリットが大きくなるのが当然の帰結でした。しかし、経済成長が不可能、および不必要な時代になったのだから、経済成熟・経済縮小に沿った考え方にシフトしてゆくのが自然
私としては、経済「縮小」よりかはせめて経済「成熟」を目指したいところ。しかしいまだ多くの国・組織が社会や環境に与える影響を度外視し、経済最優先で走り続けているように感じてしまう昨今、そういう方向に変えるのは容易で無いなーと感じます。
幸せの原点は「比べない」「足るを知る」
まさに御意。昨年、龍安寺に「吾唯足知」の蹲踞を見に行ったのが懐かしい。今でも、特に物質的な豊かさを求めてしまう瞬間や場面はあるのだけど(欲しいガンプラは買っちゃうし......)、無理なく少しずつ「足るを知る」術を身に付けたいなとは思っていて。自分のなかの矛盾を深く見つめなくては。
「円(カネ)」を儲けるのではなく、「縁(ツナガリ)」を設ける
第6章のタイトルなんですが、この言葉遊びは秀逸。円より縁、儲けるより設ける......意識したい。
人はマグロ2切れで10分間生きるカロリーを摂取します。マグロ2切れに1000匹のイワシがいのちを捧げます。1匹のイワシには5万匹のオキアミがいのちを捧げます。1匹のオキアミには5兆の動物性プランクトンがいのちを捧げます。動物性プラクトンには50兆の植物性プランクトンがいのちを捧げます。
正確性はさておき、ふだんの食事のなかで食物連鎖をイメージすることはまず無いので、単純に興味深いなと思いました。膨大な数の生命をいただいて、日々生きながらえさせてもらってるんだなーと思うと、感謝しかないですね。
俺たちの国って「先進国」と呼ばれているけど、「発展"過剰"国」と呼ぶほうがピッタリくるような気がするだが......。
発展過剰国、なるほど。この後に国内に約600万台ある自動販売機(国民20人に1台)は、買おうが買うまいが昼となく夜となく冷蔵や保温のために電気を浪費しています
ともあって、コンビニの存在然り、物質的豊かさにおいては特に、発展過剰なのだろうと思うところはあります。どこにバランスを見出すかは、難題ですけど。