仕事も人間関係もうまくいく引きずらない力
著
昨日、覚え書きした『仕事も人間関係もうまくいく放っておく力』と同じ枡野俊明氏の著書『仕事も人間関係もうまくいく引きずらない力 もっと「鈍感」でいい、99の理由』について、覚え書き。
人生はいまこのときを生きることで完結する。過去、現在、未来はつながっているようで切れている。
上記は「前後際断」という禅語の解説。「今、ここ」に集中することの大切さを説いたものと理解できますし、「今を生き切れ」という田坂先生(誰)の教えに合致する言葉でもありますね。
いまはややもすると、怒ること自体がパワハラと判断されかねない時代。「怒ったらおしまい」と自戒するくらいでちょうどいいのではないでしょうか。
だいぶ前に「怒る」と「叱る」の違いについて勤務先で偉そうに(苦笑)語っていたことを思い出しました。その違いを踏まえれば尚更、「怒ったらおしまい」だなと思えます。世の中的に、何をハラスメントに含めるか過敏になりすぎていて、生きづらいなぁとも思いますけどね。
相手が何を背負って自分と向き合っているのかを感じ取れれば、その後の交渉や対話を円滑に進められます。
相手の立場を思いやる、相手に心を寄せるといった表現は読み慣れていたけれど、「相手が何を背負って自分と向き合っているのか」というフレーズは新鮮でした。確かに自分も、大袈裟に言えば常に何かを背負ってものを言っているわけで......なるほどなと。
人に期待するときは、頭から結果を消してしまいましょう。「期待してるよ。全力を尽くしてね」と激励したら、どんな結果であろうと、淡々と受け止めるのみ。
これ結構、ハードル高い。でも詰まるところ上長、上司と呼ばれる立場の人間が取るべき態度はこれに尽きるとも思えて。角度は少し違う話だけれど、責任は自分が取るから思い切ってやってほしい、みたいな指示と近いものを感じます。
正義の解釈は人の数だけあるといっても過言ではないでしょう。
かつては正しさに取り憑かれ、正しさ中毒のような感じになっていた時期があり、振り返ると恥ずかしくて顔から火が出るくらい持論の正しさに自信があったし、同調しない向きにはイラッとしていたけれど、いつ頃からかその呪縛を解けたのは、僥倖でした。2度とあの時期に戻ることのないよう、自戒を込めて何度でも覚え書きしておきたい。
「大地黄金」という禅語が説くように、「自分がいま置かれている場所で、精いっぱいの努力を尽くすと、その場所が黄金のように輝いてくる」のです。
上記の禅語も冒頭で引用した「前後際断」同様、本書で初めて知った禅語。なるほどなぁ、逆にいま置かれている場所が輝いて見えないなら、まず自身の努力不足を疑えというわけですか。厳しい言葉ではあるけれど、肝に銘じたい。
仏教にはもともと、物事を二元的に考える、という発想がありません。「AもBもあって当たり前」ととらえます。それを前提に、「A、B両方を踏まえて、真ん中をいきましょう」と結論する。それを「中道の精神」と呼びます。
「中道の精神」は、弁証法でいえばアウフヘーベンそのものに聞こえますし、対立物の相互浸透という考え方にも聞こえますね。そのあたり、田坂先生のおっしゃることとすごく近似して感じられます。やっぱり禅との強い相関を感じてしまうなぁ。
「あってもいいものは、なくてもいいもの」だと心得てください。
幼い頃に両親から無駄遣いを指摘される際に似たようなことは、言われていた気がします。気をつけよう......。
私たちが常に心しておくべきは、「今日は過去の結果であり、未来は今日の結果である」ということです。
過去と未来を今日に紐づけている点で、「前後際断」と矛盾して聞こえなくもないですが、そうでもないか。むしろ、真剣に生きなかった過去があるからこその今日だし、今日を全力で生きない限り良き未来はない......と解釈すれば、やっぱり今日というか「今」をしっかり生きなくてはいけない。