母さん、ごめん。2 ― 50代独身男の介護奮闘記 グループホーム編
著
ちょうど4年前に読んだ『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』の続編、『母さん、ごめん。2 ― 50代独身男の介護奮闘記 グループホーム編』を読みました。前作を読んだ時点では、認知症と自分が直接向き合う状況にはなかったけれど、今は違います。なので余計に、内容が生々しく感じられたり、とにかく刺さりましたね......。
どうやら母の中では、一つの時間軸に統合されない記憶が、ばらばらにとっちらかった状態で転がっているようだ——そう感じた。個別に切り離された記憶が、ランダムに意識と無意識の間を回遊している。
実は、会話のなかで「そういう」印象をまさに受けたことがあって、おおーすごい完璧な言語化ださすが松浦さん、と思ってしまいました。聞いてる側からすると支離滅裂にしか聞こえないのだけど、本人は至って普通に話している様子なものだから、そのギャップに引きずられることなく接するのがなかなか難儀に感じています。
不運は不運を呼び込み、連鎖することで不幸へと発展する。介護する側は連鎖することを前提にして、それに耐えて不幸に陥らないだけの準備をしておく必要がある
加齢に伴い、あらゆる類の不調や怪我、ちょっとした病が別の問題を引き起こす、というのは肝に銘じておきたいと思います。同時に、自分自身もまた親と同じく並行して歳をとっているのだから、やっぱり相当気合を入れて健康を維持しないといけないな、と。松浦さんが遭ったバイクの事故は不運だったけれど、私もいずれ自転車趣味を復活させるつもりでいるしなあ。
息抜きの映画やコンサートが楽しめなくなった。(中略)いつでも動けるようにするには、自分が常にしらふである必要がある。
うう、これは相当きびしい......いざ本当に親の死に目が迫ったなら、とても趣味を楽しむどころの話ではないし、(私は運転はしないっていうか、できないけど)お酒を飲みになんかも行けなくなるわけね。実は昨年、ネパールでのトレッキングに3週間のあいだ日本を離れたときも、その最中に最悪のイベントが発生したらっていう心配をしなかったわけではないのですが。
臭いだけならまだしも、口腔衛生が悪化すると口内で雑菌が繁殖する。その雑菌が誤嚥で気管に入れば誤嚥性肺炎を起こす。高齢者が肺炎で亡くなる場合、多くは誤嚥性肺炎だ。高齢者にとってオーラルケアは生死に関わるのだ。
うわーまさに、歯磨き面倒がってますよ......これ本当にヤバい。強めに言うようにしないと。
自分が還暦を迎えたことで、ようやく「長生きしてほしい」の意味に気が付いた。「母は私と私の死との間に立ち、死を近づけないようにしている」のである。
このくだりも、なるほどなーというか、松浦さんの言語化能力に参りました。確かに順番でいったら、先に親が旅立って、それから自分の番というのが自然だから、親が亡くならないうちは自分が死ぬこともないっていう、何の根拠もないイメージや期待というのはありました。当然、それに依存したいという一種の甘えもありますね......。
ちなみに、第10章のなかで、脱字を1箇所見つけました。「そうなる介護する側は」のところ、「そうなると介護する側は」の誤記かと思います。また第11章で「その結果、帰宅する際に私は。」とあるところ、句点は不要ないし読点の誤記のように思いました。