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母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記

確か、何年も前に一度しか飲み会の席をご一緒したことは無いのだけど(謎)、かつて宇宙開発関連ニュース、特に海外動向といえば唯一と言って良いほどの日本語情報源「Space Server」を運営されていた当時から一方的に尊敬をしている、松浦晋也さんの著書『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』を読みました。認知症を患ったお母様の介護体験記なのですが、介護する側・される側を問わず、いずれ自分も直面するかもしれない未来を知る目的において、参考になりました。

認知症の老人の介護は、自分ががんばりさえすればなんとかなるような甘いものではなかった。介護をやり遂げるには、「公的介護制度をいかに上手に使い倒すか」という戦略性が必須だった。老人の介護は、本質的に家庭内に収まらないのだ。

ある意味、本書で松浦さんが伝えたいことの8割、9割は上記のくだりに集約されていたように感じます。仕事と介護を天秤にかけることの難しさというか......仕事を止めれば遅かれ早かれ経済的に死んでしまうし、かといって以前と同じ質・量の仕事を介護と両立させるのは心理的にも肉体的にもまず不可能だろうなと。そこのところでプロの手を借り、新たなバランスを構築しないといけないですね。

自分の力できちんと排泄するということは、人間にとって根元的な尊厳の源だろう。私は、脱臼騒ぎをきっかけに、母が自らの能力で尊厳を保てるかどうかを、家での介護を続けるか否かの基準としたのであった。

自力で移動できる能力、足腰の強さというのは、本当に大事だなと。比較的若いうちは当たり前すぎて危機感などこれっぽっちも抱かないけど、トイレでちゃんと用を足せるか否かが、自尊心を保てるかどうかになってくるわけで。幸い、自分は足腰は割と強いほうとの認識でいるけど(そうでなければ山歩きなど趣味にできない)、慢心せず強化し続けないといけない。

ひとつの家族のひとつの時代が終わったのである。

上記は、お母様をご自宅からグループホームへ送り出した日の回想文として登場するフレーズ。なんとも感傷的ではありますが、思い返せば自分も似たような感慨を抱いたことはあったなぁ。都内で一人暮らしを始め経済的に自立したとき、姉が結婚したとき、そして自分が結婚したとき......節目節目で家族観がリセット......まではいかないけど、バージョンが上がってそこそこ書き換わる感覚。それ自体に良し悪しも無いのだけど、ただ諸行無常感に苛まされるという。

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