人間を磨く
著
今日も今日とて田坂広志先生の著書を読む。で今日は『人間を磨く~人間関係が好転する「こころの技法」~』について覚え書き。耳の痛い指摘をたくさんいただきました。
仕事や生活において人間関係がおかしくなるときというのは、必ずと言って良いほど、互いに「相手に非がある」「自分には非はない」と思っているからである。
......ぐうの音も出ません笑。
我々の心の中の「思い」は、「言葉のメッセージ」に表さなくとも、「言葉以外のメッセージ」を通じて、自然に、相手や周りの人々に伝わっていく。
言葉にしなければいい、あるいは言葉にすればいい、という問題ではなくて。結局はその「言葉以外のメッセージ」、ノンバーバルなコミュニケーションで何を思っているか、どう考えているかは伝わってしまう。ゆえに、言語としてアウトプットする・しないより前に思想をまずしっかり正すことが重要と。
実は、世の中に、本来、人間の「長所」や「欠点」というものは存在しない。存在するのは、その人間の「個性」だけである。
これを言い切るのは凄いことだなと思いました。確かに見方次第で、長所は短所にも(あるいはその逆にも)なりますが......言い切れるのはある意味、人を全肯定できるからこそだろうと思います。そこは先月読んだ『否定しない習慣』と文脈がつながって思えます。なかなかこう、実践するのがしんどいですが。
「人間関係が下手な人」とは、「人とぶつかってしまう人」のことではない。「人とぶつかった後に、和解の余地を残せない人」のことである。
「愛情」とは、関係を絶たぬことである
なんてくだりもあって、そういう定義もあるのかと、ちょっとびっくりしました。なるほど関係を絶つのはたやすいけれど、続けるのはそれなりにエネルギーも要るわけで、納得感はありました。たとえ距離を置くにせよ、いずれ和解できる前提というのは必要ですね。
人間関係から逃げ、その苦痛から逃げ、自分の人間としての「成長の課題」から目を背けてしまうと、一時的には、その人間関係の問題を解決できたように思うが、気がつけば、以前に巻き込まれた問題と同じような問題に巻き込まれ、自分の「成長の課題」を、ふたたび突き付けられることになる。
それがまさに卒業しない試験は、追いかけてくる
ということなのですね。実際、同じ過ちを何度となく繰り返している気がするのは、自分がどれほど成長していないかってことではあるけど、そうであるが故に何度も追試を受けさせられていたわけですか。実に苦しい。