Re: Twitterはいよいよ限界?もう引っ越ししかない?2023年のSNSとの付き合い方を考える
著
過去に著書の『どうせなら、楽しく生きよう』を読んだことのある渡辺由佳里氏が書いたTwitterはいよいよ限界?もう引っ越ししかない?2023年のSNSとの付き合い方を考える| FINDERS|あなたのシゴトに、新たな視点を。という記事、TwitterからMastodonに軸足を移したばかりの自分には、たいへん興味深かったです。
「ニュアンスや複雑さを明確な二次元論に押し込もうとする衝動」はソーシャルメディアに蔓延しており、社会を良くするために長年地道に働いている人が積み上げたものを一瞬にして破壊する力がある。
これ本当に怖いなと思っていて、Twitterのごく一部とかではなく、もはやTwitterというSNS全体がひとつのエコーチェンバーとなり二元論を礼賛してるかの印象があって。加えて文字数の制約だったり、書いた内容を後から編集できなかったりっていう仕様も影響してるかもだけど、思考をより短絡的なものへと仕向けられている気もしており。
Facebookはそれを熟知しているので、そういったコンテンツがより多く出てくるようなアルゴリズムを作っているのだ。憤慨を引き起こすようなニュースや情報をクリックして読むと、アルゴリズムは同じようなコンテンツをどんどん見せるようになる。
営利目的でSNSを運営している以上、胴元の企業が「そういう」方向にユーザーを焚き付けようとするのは資本主義のルール上、致し方ないのかもしれない。そう分かっているにもかかわらず、運営元ないしアルゴリズムに対して絶対的な公正さだったり中立さを暗に期待してしまう自分もいて、そこのところのギャップが年を追うごとに肥大化してきてたなあって、今にして振り返ると実感します。
私のように最近マストドンに加わった人たちは、Twitterとは異なる使い方を模索している最中のようだ。Twitterも私が加わった2009年初期には「Twitterとはなんぞや?」というツイートと、それに対する反応が多かった。それを少し思い出すが、最大の違いは、2009年当時の「Twitterとはなんぞや?」には子供が遊び方を考える無邪気さがあったが、2022年末の「マストドンをどう使うべきなのか?」には人生に疲れた中高年の禅問答的なところがある。
わはは。人生に疲れた中高年の禅問答、本当にそれ。ただ、Mastodonを使ってみて明確に感じるのは胴元、私の場合はVivaldi Socialだけど、胴元がMastodonの運営から直接的な収益を上げようとしているわけではないからこそ感じ取れる類の平和。確かに拡散も炎上もしにくいし、そうであるがゆえ盛り上がりに欠けるけど、圧倒的に平和なんですよ。まぁ何をもってして平和と認めるかは人それぞれですが......私もしばらくはMastodonとTwitterそれぞれとの向き合い方を模索しながら、2023年におけるSNS活用の落とし所を見つけたいと思います。
嗚呼、誰が言ったか「人生とは可処分時間の奪い合い」。SNSに時間なり持てるエネルギーを費やしすぎることなく、今日も私は私の人生を生き切りたい。