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すべては導かれている

田坂先生の著書『すべては導かれている ~逆境を越え、人生を拓く 五つの覚悟~』を読了。正直、タイトルがちょっと宗教っぽいけれど......読み終えたとき、なるほど本書で『死は存在しない~最先端量子科学が示す新たな仮説~』より先にゼロポイント・フィールド仮説について取り上げていたんだな、というのを確認。

何が起こったか。それが、我々の人生を分けるのではない。起こったことを、どう解釈するか。それが、我々の人生を分ける。

物は考えよう、とは昔からよく言い聞かされてきたけれど、それがまさに解釈力ということなのでしょう。いつでも、対象が何であれ、良くも悪くも受け止められるなら、良いように解釈できたほうが嬉しいし、楽しく、またありがたい。悪く解釈したらしただけ、つまらないし人生がもったいない。そう思えるようになりたいものです。

「人間は、本当の自信がなければ、謙虚になれないのですよ」「人間は、本当に強くなければ、感謝ができないのですよ」

いつからだったか、他人の発する「ありがとう」に敏感になって、また自分でも積極的に「ありがとう」という言葉を意識的に発したり、書き込むようになった気がします。それはたぶん、自分が強くないからだし、強くなりたいと願うから、なのかなと。自信と謙虚さの関係についても、まぁその通りでしょうね。本物の自信が持てないから、謙虚になりきれない。

「すべては導かれている」という思想は、「すべてを肯定する」という思想だからです。言葉を換えれば、「すべては導かれている」という思想には、そもそも、「良きこと」と「悪しきこと」という分離が無いのです。

やはり、物は考えよう、ということに尽きるのかなと。ある事象を「良きこと」と解釈するか、「悪しきこと」と解釈するか、心持ちひとつで180度変わるというのは、ちょっとだけシュレーディンガーの猫っぽいかも。そう考えるなら、ゼロポイント・フィールド仮説と地続きな印象を受けるというか、量子力学的な文脈でこそすべてを説明できたりするのかも。

「人生をすべて肯定する」ためには、一つ、深く求められることがあります。それは、何か。「死」を見つめることです。

そして現れる人生の「三つの真実」......田坂先生の言葉ではお馴染み「人は、必ず、死ぬ」「人生は、一度しかない」「人は、いつ死ぬか、分からない」。これら如何ともし難い真実に正対すれば、そりゃもうどんなことだって肯定せざるを得ないし、「悪しきこと」ではなく「良きこと」として解釈せざるを得ないし、結果として「すべては導かれている」と思えてしまうのかな、と。

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