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なぜ、我々はマネジメントの道を歩むのか

先月読んだ『人生で起こること すべて良きこと』がきっかけで、再び自分の中で田坂広志氏、いや田坂広志先生の著書ブームが起こりつつあります。でもって最近読んだのは、新版として今年2月に改めて出版された『なぜ、我々はマネジメントの道を歩むのか』。実に耳の痛くなる言葉の数々が、慈愛すら感じ取れるような優しさと共に紡ぎ出されていました。

常に、部下の性格、状況、心境、力量を把握することが求められる。そして、それぞれの場面で、最もふさわしい言葉を語ることが求められる。その意味で、マネジメントとは、最も高度な「心のマネジメント」なのです。

自分もかつての田坂先生と同じく、マネジメントの立場に立ちたいなんて思っていませんでした。しかし半ば周囲に流されるような格好でそういう立場に立ち、もうだいぶ長い時間が経ちますが(今の勤務先で取締役になってからは15年が経つ)、上記にあるマネジメントの本質を当時の自分が知っていたら、きっと引き受けることなく逃げ出していたでしょうね。

上司、部下を知るに三年かかる。部下、上司を知るに三日で足りる。

この言葉は本書で初めて知ったけれど、なるほどなあと思いました。そもそも部下は上司に本音を語らないもの、本心を明かさないもの。いっぽう上司は部下に対して何かと本音で接しがち。それはともすると権力志向や操作主義がもたらす弊害かもしれないけれど。恐ろしいことですが、自分が思うより遥かに周囲には見透かされてるんだろうなあって、思います。

若き時代に、ビジネスの世界の、裏も表も見てきたか。組織というものの、裏も表も見てきたか。そして、人間というものの、裏も表も見てきたか。そのことが、深く問われるときがきます。

振り返れば、二十代や三十代は本当に記憶に残っていないくらい慌ただしく過ごしているうちに過ぎ去ってしまって。「裏も表も見てきた」なんて、とても言えないけれど。多分でも、無意識に見てきたところはある、ぐらいは言えると思っていて。「清濁併せ呑む」......最初の就職先を去る際に、少し苦手だった上司から贈られた?言葉、今ならその大切さが理解できます。

我々が成長できたのは、そうした人間関係の摩擦や葛藤があったから。ときに、心が軋む瞬間、胃が痛くなる時、天を仰ぐ日があったから。そうではなかったか。

本当にそうですね。労せず成長できるなんて、あり得ない。ただ自分の場合、その過程でかなり精神的にヤられてしまった時期があって、家族には特に非常に迷惑をかけました。もはや取り返しなんてつかないし、お詫びのしようもないですが。今はもう大丈夫、何が起きても結果はどうなろうと逃げずに正対できる程度の強さを身につけられたと思うから。奢ることなくその強さに磨きをかけていくのが、これからです。

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