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実践パーパス経営

大学院の主ゼミで指導いただいている伊吹先生が共著者の『ケースでわかる 実践パーパス経営』を読了。昨今もてはやされ気味のパーパスとは何か、どう作り活用すべきか、事例を交えて紹介されたものです。以前読んだご著書『新版 CSR経営戦略』は固定レイアウト型で残念な思いをしましたが、同じKindle版でもこちらはリフロー型で安心しました。

筆者らは、パーパスのことを「揺らぐことのない社会的な存在意義」と捉えている。

パーパスとは何か......について、日本語に置き換えるなら「社会的な存在意義」と単純に考えていたので、個人的には揺らぐことのないという表現が刺さりました。より具体的には、図表1-3にある「パーパスの概念図」において、それが見事に表現されていたと思います(社会に対しパーパスが一種の楔となって機能している様)。

「社会的な要素をより強く持つ」ということが、ミッション・ビジョンとは別にパーパスが独立して語られる理由であり、パーパスが持つ重要な特性である。

しかし経営理念などで既に「揺らぐことのない社会的な存在意義」が表現されているならば、敢えて独立してパーパスを語ることもパーパスを再定義する必要もない、というようなことも書いてあって、安心しました。ミッションやビジョン、それにバリューって、ともすると混同されがちな印象があって、そこにパーパスが加わるとなれば尚更、カタカナ用語ばかりでややこしいなと笑。

ビジョンが方向性を示すとするならば、パーパスは、その企業にとっての原点を示すものである。また、ビジョンは、未来のイメージを表現したもので、将来へ向かう方向性を言語化するが、パーパスは、主に過去から現在まで(時に未来を含む)の時間軸のなかで言語化・定義される。

パーパスとビジョンの違いは、経時変化のしにくさと自分は解釈しました。原点である以上、パーパスは経時変化しにくいもので、いっぽうビジョンは社内外の状況に応じて随時変化して良い、むしろどちらかと言えば変化させるべきものであって、経時変化しやすい。そんな風に受け取りました。

自分たちがどうありたいかを踏まえつつ、社会をどうしたいのか、社会に対してどのような影響を及ぼす存在なのか、を定義したのがパーパスである。

宇宙開発とインターネットの両方に傾倒してきた過去があるだけに、両者の発展が個々人の認知や視野を広げたいっぽう、あらゆるビジネスがグローバルに依存関係を深化させてきた結果、自ずと社会(そして環境)を含めた文脈で語らざるを得なくなった......という見方を私はしています。世界規模での社会課題の深刻化・複雑化も、さることながら。

パーパスを示す言語が存在すれば事足りるわけではなく、その組織や人々によってパーパスが心から共感・共鳴されていること、つまり"感じられている"ことが必要である。

この共感・共鳴という言い回し、本書では何度繰り返されたかわからないけれど、印象に残りました。どちらも似た言葉に聞こえなくもないですが、どちらか一方だけではダメってことですよね。なんとなく共感止まりでも良さそうって気がしなくもないけれど......その先の、響き合う状況を目指して活動しなければ本物にはなれなさそうという。

第三者的要素をもつパーパスが共通言語的な機能を果たし、異なる組織や個人、あるいは社会全体をつなぐ。つなぐことにより、その間に共感・共鳴が生み出される。パーパスが存在し、共感が生まれている状態では、成し遂げようとするゴールに向かって、組織や個人の力を最大限発揮することができる。

情報通信技術(無論インターネットを含む)やロジスティクスが高度に発展し社会全体、世界全体がより強固につながった(見方によれば共依存を深めた?)からこそ、それを維持するための共通言語が必要となった......ような気も。そこは「鶏が先か、卵が先か」の議論にも似た感想を持ちました。

経営上の数値責任を負っている経営陣クラスが経済価値と社会価値を天秤にかけてバランスをとるかのようにパーパスを活かすことが重要である。パーパスに基づく経営判断が、時に、短期的な売上を犠牲にする可能性にも真摯に向き合い、意思決定する必要がある。

短期思考と長期思考の衝突(とか「対立」みたいな言葉遣いは避けるべきなのかもですが)を解消・解決する手段としてパーパスが役立つかもしれない、わけですね。部分最適と全体最適のあいだのバランシングにも役立つかもしれません。何せ空間的にも時間軸的にもうんと拡張した視座からの思考、判断が求められるはずですから。

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