現代思想 2017年7月号 特集=宇宙のフロンティア―系外惑星・地球外生命・宇宙倫理...
著
宇宙倫理に言及しているというので、調査研究の一環で今更ながら『現代思想 2017年7月号 特集=宇宙のフロンティア―系外惑星・地球外生命・宇宙倫理...』を読みました。一通り最初から最後まで、宇宙倫理に関するものではない寄稿も読んだのですけど、内容が結構重複してたのは仕方ないのかな? まぁ全部読んだおかげで、矢野さんや寺薗さんの寄稿に気付けましたけど。
全くの空想に近いのですが、お金があれば今すぐにでもできるというプロジェクトとして、系外惑星に地球上の生物を打ち込むことで、意図的パンスペルミアを実際に行ってみるということも構想しています。
上記は松井孝典氏の寄稿からの引用。いやまったく、とんでもないことを構想してたんですね。面白いとは思いつつ、宇宙倫理学的には大いに議論の余地のある構想です。見方によっては完全に地球人による「侵略」ではないですか笑。たぶん、そんな大胆なアイデアも遠慮なく書けてしまう前提には
人間圏は長く続きません。いずれ滅びてしまいます。滅びるときにそんなことをしようとしても、衰退した文明にそんなことはできません。しかし今ならできます。
という発想、ある種の危機感があるからなんでしょうね。冒頭の人間圏は長く続きません
というのが、そもそも世の中の大多数の人々と共有できていない以上は、なかなか賛同は得にくいだろうと推察しますが。
ただ「生命」といっても、たとえば土星の衛星のエンケラドスの氷の下にチューブワームの仲間が見つかるというようなレベルでは、アポロ一一号ほどのショックにはならない。やはり知性が見つからないと。
上記は三浦俊彦氏の言葉。自分も同じ考えであり、チューブワームくらいはっきり視覚的にわかりやすい生命が見つかればまだ良くって、素人目には生命かそうでないか微妙なレベルの発見であればなおさら、ショックは得られないだろうなと。なので、早く宇宙人に攻めてきて欲しい笑。
探査機や望遠鏡を通じて我々が見るべきは、小さな微生物やバイオマーカーではなく、生命を育む多様なシステムの全体像ではあるまいか。
上記は関根康人氏の言葉。これもまったくもって同感。地球外に見つかるかもしれない生命を通じてこそ私たち自身を相対化させることができ、新たな価値観なり普遍性を構築することができると信じます。これは、もう少し後で佐々木貴教氏が書かれたところの地球生命中心主義からの脱却
そのもの。問題は、やはりその相対化のメリット・デメリットに対する全人類的な合意だったり、経済合理性だろうと思います。
要素還元主義で未来予測を行うと、近眼視的な結論しか出ないことが多い。それに対して何万年、何千万年というスケールで捉えることにより、長期的な予測が可能となる。
上記は鎌田浩毅氏の言葉。要素還元主義について、おおーそうなんだ!!という驚き。もともとそのアプローチには、信頼と同時に疑い(少なくとも「万能ではない」)のまなざしを向けてきたので......我が意を得たりという感覚がありました。要素分解の過程で、本来のコンテキストから抜け落ちる部分がきっとあるんじゃないかな。
近年は技術の進展により地球が実質的に縮小したことで逆に均質化の方向へ向かう圧力が強まってきた。宇宙進出はこの報告を再び逆転させて、人類文明がその内に多様性を育む可能性をもたらすことができる。
上記は宇宙ユニットシンポジウムなどを通じて懇意にしていただいている磯部先生の言葉。宇宙倫理学について学ぶ過程で、グローバリゼーションと宇宙開発を紐づける文脈を入手できていたけれど、それを拡張させるような視点を教示いただけたと感じます。これはひょっとすると、人間圏の拡張プロセスにおいて継続的に強弱が入れ替わるトレンドなのかもしれません。
人類を存続させるという目的は他の目的(例えば地球上で貧困に苦しんでいる人々を助けること)よりも優先すべきことなのか、という疑問もある。この疑問は突き詰めれば、そもそもなぜ人類を存続させるべきなのかという問いに関わるものである。
......呉羽真氏のこの指摘は、宇宙開発賛成派の自分にとっては実に手厳しい。しかし同時に、思考停止してはいけないという警句にも聞こえます。SDGsやらCSRと宇宙開発の世界とがどことなく縁遠く、折り合いが悪いように感じていて、そこを何とかしたいと思っている動機は、突き詰めると上記の問いに帰結してしまうんだよなあ。幸せって何だっけ笑。
「人類」という言葉がしばしば少数の人々を利する意図を覆い隠すためのレトリックとして持ち出される場合がある、というものだ。月面に人類最初の一歩を刻んで「これは人類にとって偉大な一歩だ」と述べたアポロ一一号の乗組員たちが月に星条旗を立てて帰ってきた、という皮肉を思い出そう。
これもまた極めて重要な指摘と感じますね......うまく言語化できないけれど、幼い頃から信じてきた何かを、少なからずひっくり返されるような感覚を覚える指摘。それでも、これから先は避けて通れない、何かにつけ思い返さなければいけない指摘。人類のようなデカすぎる主語はよほど注意して使わないといけない。