閃光のハサウェイ(小説版)
著
コロナ禍の影響から多くの映画館が営業休止中にあり、新作映画の多くが封切りの後ろ倒しを余儀なくされている昨今、7月23日に公開の予定されている映画『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』もどうなるか分かったものではありません。がしかし、いつの公開になろうとも、高校生だった当時に文庫で読んだ原作、つまり小説版の『閃光のハサウェイ』は読み直しておこうということで、少し前にKindle版を買いました。
以下、ネタバレありなので(ry
衝撃のクライマックスは文庫を手放した後もよく覚えていましたが、改めて読み直すと、意外に物語の中で流れる時間が短かったことに気づかされます。ハサウェイがクスィーガンダムを受け取る直前から撃墜されるまで......なーんて書くと本当に短く、出撃回数も数える程度しかない印象。そもそも舞台設定がだいぶ狭いような......ZガンダムとかガンダムUCみたく、宇宙と地球をいったりきたりすることもない。果たしてそれで劇場3部作としてどう構成されるのか、楽しみではあります。でまぁ
近代の個性の時代といわれていた時代にこそ、人類は、消費拡大をして、その商業主義が、地球まで殺したんだ......人類ひとりひとりに自由を、という思潮がのこっているかぎり、人類はスペース・コロニーをつくったって、地球を食いつくしてしまうんだ
というハサウェイの思想は、概ね理解はできます。その思想とテロリズムを結びつけ肯定するロジックには賛同しかねますが、時を経て大人になった今読んでもなお、然もありなんという気がするもの。あとはやっぱり、撃墜されてから処刑されるまでの彼の心理描写がキツい。
......死ぬぐらいは、みんながやってきたことだ。ぼくにだって、ちゃんとできるはずだ
これは、最後の晩にハサウェイが唱え続けた台詞として出てくるのだけど、そんな殊勝な言葉をひねり出せるだなんて!!彼が何歳の設定かは忘れましたが、自分とは親と子ほど離れた年齢のはずであり、言動には若干の幼さすら感じるのに、殊勝過ぎる。それとも、死をも厭わぬテロリストは皆、そんな感覚だったりするのでしょうか。関係ないけど、富野監督がこの小説を書いていた当時は、まさか9.11のような事件が将来起こるなど、予想されていなかったでしょうね......それとも何か、先見の明のようなものがあって本作を執筆されたのでしょうか。