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今日が人生最後の日だと思って生きなさい

Kindle版で少し前に読んだ『今日が人生最後の日だと思って生きなさい』について。著者の小澤竹俊氏は、2,800人を看取ってきたホスピス医なのだそう。

人が非日常を抱えながら日常を生きることは、ほぼ不可能なのです。

そうだろうな、とは思っていたけれど、こうもはっきり医師の立場で書かれると、妙に納得してしまいました。出張でも旅行でも何にせよ、少しばかり非日常ってやつを味わってから日常に戻るなり、もっと普段から非日常をちょっとずつでも味わえればいいのになって思うことしきりだったんだけど......ほぼ不可能とはね。

人ができるだけ悔いなく、「よく生きる」ためには、日常と非日常、両方の大切さを知り、使い分けていく必要がある

何をどう選択したって、あらゆる選択には後悔がつきまとう。その選択が、決断と呼べるほどの重苦しさを持ったものなら、なおさらそう。だから自分はこれまで、できるだけ後悔の少なそうな選択を心がけてきたつもりだけれど、それだけでは著者が定義するところの「よく生きる」には不十分だったのかもね。

何の疑問もなく「明日のことを語ることができる」というのは、それだけで大変な宝物を手にしているようなもの

失って初めてわかるありがたみ、の類なのだろうな。さんざっぱら歌詞なんかにもなってそうだけど、明日がくる保証なんて原理的には誰にとっても存在しない。だからこそ、日常的には明日がこないほうの可能性は見て見ぬ振りをして明日を語ってしまう、それがどれだけありがたく幸せなことか噛み締めることなく。

ほとんどは末期がんの患者さんでしたが、「人生最後のときが近づいている」という究極の苦しみの中で、彼らは実に多くの大切なことを学んでいました。

今日午前、お亡くなりになった僕の義父も、そうであって欲しい。お世話になりました、ありがとうございました。ご恩は一生、忘れません。今週の海外出張(CSUN Conference参加)は取りやめました、しっかりお見送りさせていただきます。

どのような死生観を持っていようと、「肉体がこの世を去った後も、その人の存在は家族や周囲の人の心の中で生き続ける」という事実は変わりません。

......そうですね。本当に。

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