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縁は苦となる苦は縁となる

塩沼亮潤氏の著書、『縁は苦となる苦は縁となる』を読了。氏は、先だって30th Anniversary 仙台公演 遊佐未森 cafe mimo Vol.18 〜春爛漫茶会〜の際に訪れた慈眼寺の住職。奈良・金峯山寺1300年の歴史で2人目となる大峯千日回峰行を満行されたことで知られている、らしい。自分はまったく知らなかったけれど、相当厳しい修行というのを嫁さんから教わりました。それはそれとして、なかなか良い学び、気づきが得られました。

心の持ち方や考え方次第で、縁が苦となり、苦が縁となるのだとしたら、私たちはどんな出会いも悩みも意味があると受け止めなければいけません。しっかりと前を向き、明るい心で人生という道を歩き続けることです。

どんな悩みも、の中に死別に伴う悩みも含まれるのだとしたら。誰かの死に何かしらの意味を見出そうとする行為、自分にはどうしても前向きかつ建設的な行為とは思えないし、そうであるが故に忌避しているけれど。おそらく意味の「答え合わせ」が重要なのではなく、そこにどんな意味を見出すにしろ、受け止めるということが重要なのでしょうね。

どんな人にも別れがいずれ訪れます。そのときがくる前に、目の前にいるご縁のあるすべての人と心で向き合うことです。パソコンやメールではなく、心と言葉と笑顔でコミュニケーションを取りましょう。

パソコンやメールではなく、心と言葉と笑顔で。なるほどなと。多分、自分が気づかないうちにその実践を、公私問わず怠ってしまっていた節があります。笑顔って難しいとすら思ってしまっていて。ですから、上記のくだりを読んだとき、正直痛いところを突かれた思いがしましたし、大いに反省しなければいけないな、とも思いました。

世のなかには自分が間違っていると思い込んでいる人はいません。だからコミュニケーションでトラブルがおき、人間関係がややこしくなるのです。つまり自分は間違っていないという思い込みこそ、すべての火種であり、捨てるべき感情です。

そう、なんですよね。なかなかこの、自分が間違っていると思い込んでいる人なんていないということに日頃、思いが至っていない。だからこそ丁寧な対話、丁寧なコミュニケーションが必要なんですよね。別のところでどんな相手に対しても、最大限の注意を払い、相手を知ると同時に、その人の「痛み」も知ってとあったけれど、自分にとっては同じ要点に思えます。そしてそういう行為、スタンスの中に自分が身につけなければならない謙虚さの本質があるように思えました。

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