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Re: 生命を燃やすことと失うことの違いと思考の関係と、二元論への終止符

高橋祥子氏の書いた生命を燃やすことと失うことの違いと思考の関係と、二元論への終止符という記事が、少し前に会社で話題になりました。当覚え書きで氏の記事に言及するのは、今年初めのFw: エントロピーの先に生命が見る夢と、世界と時間の美しさと、挑戦に続いて、これが2回目。

はてなブックマークで付いたコメントを読むと、記事の前半で二元論にダメ出しをしておきながら、後半で個人の人生にとっての大きな問題は、果たして命を燃やしたのか、命を失ったのか?というように自ら二元論に基づく問題提起をされた流れが複数人から指摘されているけれど、個人的にはそのブーメランはさておき前半を大変興味深く読みました。

自分はもとより二元論には懐疑的な立場で、その端緒は高校時代に見ていたNHKスペシャル『アインシュタインロマン』まで遡ります。その番組や書籍化された内容を通じ、(学校での授業とほぼ並行して)光が波であると同時に粒でもある......みたいな理論に触れ、古典物理学の限界はもとより二元論的発想の限界をぼんやり感じ始めて。以来、何かを決めるうえで便利な場面はあるにせよ、物事を単純化して結論に落とし込むことが必ずしも正とは限らないと思える経験を多数積んだ結果、二元論なんて所詮ファンタジーという感情が今の自分には強くあります。

高橋氏の記事において、人は無意識のうちに視野の選択を行っており、視野を自由に定義できないと、思考停止に陥りやすい二元論に落とし込むと理解しやすいので意味があるように見えますが、ほとんどの場合は思考停止しているだけとあるけれど、結局のところ二元論に限界を見出すような状況にどれだけ多く触れて来たか、その場数なり経験値が視野を広げ、結果的に二元論(≒思考停止)に陥りにくくするのではないか......そんなことをぼんやり考えた次第。

高橋氏の文章を読むのは今回でまだ2度目とはいえ、前回に引き続き物理学的な視点が織り交ぜられているのがとても興味深く、次回作を拝見するのが既に楽しみだったり。なんとなく高橋氏と自分とでは発想が似ているところがあるような、そんな親近感を(完全に一方的にですが)覚えていたりもします。

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