宇宙旅行と私
著
(以下の文章は、三菱電機DSPACEの『宙人ノオト。』第16回「宇宙旅行」に応募した駄文です。自身の作品をサイト・ブログに転載する権利を認め
られての応募なので、こちらに転載しておきます。)
宇宙旅行、という言葉を目にするたび、複雑な想いが私の心の中に去来します。
宇宙に行きたいか?と問われれば、答えはもちろんイエス。父親に連れられて宇宙科学博覧会に行った幼稚園生の頃から、青い地球を自らの目で見ることに憧れを抱いてきました。その後、小学生になってスペースシャトルの運用が始まったときには、大人になればきっとこの乗り物で自分も宇宙に行けるんだ、と思い込みもしました。
しかし現実はどうでしょう?いち時期に比べれば、私のような一般市民の参加できる宇宙旅行は遥かに現実味を帯びてきているものの、それでも恐ろしいほどの大金が必要です。金額的に最も安い部類の、高度100キロまでの弾道飛行なら、まったく支払えない金額ではないけれど、それで宇宙に滞在できる時間はたったの数分間。
目的達成のためならばと、宇宙飛行士の募集に応募することを真剣に悩み考えもしました。結果的に、これまで応募したことは一度もありません。応募しなかった理由は長くなるので書きませんが、一つ言えることは、ただ単に宇宙に行きたいという個人的欲求を満たすだけならば、職業的宇宙飛行士を目指す選択は相応しくないということ。
実を言うと、宇宙に行ける可能性が飛躍的に高まった時期もありました。勤務先から特別な賞与として、弾道飛行の切符をいただけたのです。私の宇宙への憧れをよく知る社長による粋な計らいでしたが、最終的には辞退しました。1,200万円もの会社のお金を、私個人のために費やすことにはもとより気が引けていましたし、経済不安定の世界的な高まりを受けての判断です。
そんな経歴の持ち主である私が、宇宙旅行に対して複雑な想いを抱くことを、誰が止められるでしょう?行けるものなら1日も早く、死んでしまう前に宇宙へ行きたい。行きたいと思う者なら誰でも行けるほど安全かつ安価な宇宙往還手段が、社会的にも経済的にも一定の合理性を満たすなかで早く実現して欲しい。しかし実現への道筋はあまりに遠く、私個人がその実現に貢献できる余地も、極めて小さなものと映ってしまう。
いまはただ、慌ただしい日々をやり過ごしながら、少しでも宇宙に近づきたいとの想いを大切にし続けることで精一杯。そんな自らの器の小ささに辟易しつつ、私の代には無理でもせめて自分の息子の代には宇宙旅行が真の意味で身近なものとなっていて欲しい、と願って止みません。