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Re: 鳥人間コンテスト−今や格差社会を象徴する番組か?

たとえ釣りであったにせよ、鳥人間コンテスト−今や格差社会を象徴する番組か?という記事には、反応せざるを得ません。

しかし、経済事情により大学どころか高校にも行けない、若しくは高校中退せざるを得ない生徒が増えていることを考えると、人力飛行機と言う結構金の掛かるイベントで大学生が大活躍するということは、それだけ格差社会が進行しているともいえます。

1977年(昭和52年)から30年以上にわたって続いている番組ですが、その記録の伸びは格差社会の広がりと比例しているのかも知れません。

確かに、現役大学生から構成されるチームが(人力プロペラ機部門に限って言えば)出場チームの大半を占めているのは事実です。そしてご指摘の通り性能の良い人力飛行機を製作するには、それなりにお金もかかります(単純な材料費のみならず、試験飛行の運用にかかるコスト等を合算すれば、かなりの金額です)。しかし、それと格差社会とを紐づけるにはかなりの無理がある、と感じます。

第一に、大学に所属しなければ鳥コンに出場することができないかというと、そうではありません。学歴が書類選考時に問われるわけではありませんし、社会人から成るチームだって(諸般の事情から数は希少ですが)存在しています。確かに若者にとって、必要な人もお金もすべてゼロから自分でかき集めてチームを作り出場を目指すより、既にそうした出場チームの存在する大学へ進学し既存のチームに参加したほうが、超えるべきハードルは低いでしょうけど。

第二に鳥コンで活躍をする、すなわち好成績を収めるということと、その活躍をしたチームのメンバーが大学生から構成されているかどうかは、単に参加チームの母集団として大学生チームが多い点を除けば、相関がありません。鳥コンは運の要素を含む言わば一発勝負の世界であり、どれほど性能の優れた飛行機とパイロットをもって出場できたとしても、飛び立つときの気象条件が悪ければ平凡な記録に終わります(発進時の条件を自ら選べない点は、鳥コンを難しくも面白くもしています)。

そういうわけで、僕としてはそのような(鳥コンでの飛距離の差が格差社会の広がりを反映しているなどという)印象はまったく持ちませんし、持てません。むしろ、論理的に飛躍しすぎだと思いますし、そのような見方、考え方をされる方がいらっしゃるということに、驚きを覚えます。

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