JIMと再会
著
昨夜、大学時代に人力飛行機を共に作った仲の後輩、JIMと再会しました。JIMというのは当時のあだ名で、Jim BeamのJim([2009-04-27追記] それだけじゃなかった、Apollo 13のJim Lovell宇宙飛行士にも)に由来しているのですけど……ある御方は「ロック」と呼ぶこともあって以下略。再会、と書くと妙に感傷的なイメージが付きまとうものですが、実際彼と会ったのは大学卒業以来のことで、(少なく見積もっても)実に11年ぶり。とはいえ、そのあいだにそれぞれに流れた時間の長さを微塵も感じないほど自然で、お互いに「全然変わってないよね」という第一印象を抱きながらの再会となりました。
彼から7月頃にメールをもらったのがきっかけでしたが、まぁ長生きはしてみるものだなぁと思ったし、僕がこうして(自分のWebサイト上でメールアドレスを公開することで)自らの連絡先を大っぴらにしていて良かったとも思いました。井戸坊でひたすら柚子酎を飲みながら夕食をすませた後、彼がマイキューを置いている山水ビリヤードでビリヤードに興じるなどしてから別れましたが、おめでたい話(何)を聞かせてもらえたりもして、とにかく楽しいひとときを過ごせました。ありがとう!>JIM
折角なのでJIMとの思い出話を書き記しておくと、彼はPerdixの設計・製作において主にフレーム班として活躍したほか、毎回の試験飛行や鳥人間コンテスト本番でも、テールパイプの支持役として貢献しました。テールパイプの支持役というのは、実際にPerdixを飛ばすうえで重要な役回りの一つで、機体の初期加速を手伝うと同時に、ほんの数秒とはいえ滑走を始めてから垂直尾翼が有効に機能し始めるまでのあいだ、進行方向を左右する(ヨー方向の安定性を保つ)ミッションがあります。僕はJIMの「テールパイプさばき」に全幅の信頼を寄せていたし、1995年の鳥人間コンテストで無事プラットフォームから飛び立つことができたのは、彼の貢献に依るところが少なくなかったと思っています。