最後の秘境・世界遺産武陵源と桂林漓江下りの旅 1日目
著
東横イン中部国際空港本館オレンジサイドでパンとコーヒーにコンソメスープの朝食を流し込んだ後、慌ただしくチェックアウトして中部国際空港へ。阪急交通社のカウンター前で、車で千葉から移動してきた両親と無事合流。そして添乗員さんや、同じツアー「最後の秘境・世界遺産武陵源と桂林漓江下りの旅」に参加するほかの方々とも合流。当日の朝になって2名ぶんのキャンセルが入ったとかで、参加者は僕ら家族3人を含め計11人とのこと。
荷物を預け、手荷物検査も出国手続きもさくっと終えたところで一休み。初めて利用する空港ですが、まだ比較的新しいせいか、どこを見ても真新しい。しばらくのあいだ美味しいコーヒーにありつけなくなる、というわけでスタバのコーヒーを買い込み、バスで少し移動した場所でタラップを登り広州に向かう飛行機(JL661便)へ。機内では、昨日衝動買いした『Life Hacks PRESS vol.2』を読了。
腕時計の時刻を1時間戻して広州に到着してみれば気温は24度、結構暑い。そしてそれよりも驚いたのが空港の大きさ。規模は先日利用した北京首都国際空港と同じかそれ以上かもしれない(更なる拡張工事も盛んのようでした)。夜に乗る国内線のために再び手荷物を預け、バスで広州の市内観光へ。飛行機が順調に飛んでくれたのと、人数が少なめであらゆるスケジュールが前倒しで運んだため、本来であれば最終日に訪れる予定だった西漢南越王墓博物館も含め、4カ所を観光しました(そのぶん最終日はゆっくりできるハズ)。
- 中山記念堂
- 孫文を記念した記念堂。内部に柱が一本も無い構造、照明がなく自然光を取り込むよう設計された天井、そして音が反響しないといった特徴をひとつひとつ確かめました。
- 鎮海楼(広州博物館)
- 鎮海楼という建物自体が、広州の歴史が学べる博物館となっていました。原始時代から近代に至るまでを象徴する数々の展示品のなかで、ひときわ興味をひかれたのがPlanet Dial。太陽系の各惑星の動きを手動で再現できるらしく、いつ作られたのか記載はなかったものの、非常に精巧なつくりで写真も結構撮りました。今仮に同じモノを作ろうと思ったら、市販のギアの組み合わせで作れるのだろうか?
- 陳氏書院
- 装飾が素晴らしい建築。木彫り、レンガ彫り、石彫りなどの装飾のうち、やはり屋根の飾りが非常に印象的。かつての一種の学校ということで、子供の気が散らないよう、暑い土地柄にもかかわらず外が見えないように設置された扉も見学。近くの公園ではバトミントンの羽根みたいのを蹴鞠の要領で円陣を組んでけり合う遊び?に興じる人々を多く目にしました。
- 西漢南越王墓博物館
- 発見された南越王墓が、そのまま博物館となっていました。日本で古墳の石室そのものに足を踏み入れられる場所がどれぐらいあるか知りませんが、これはこれで貴重な体験。数々の出土品を見学しながら、当時の文化であるとか、あるいは「死」に対する考え方について、思いを巡らせました。
市内の移動ではバスの車内から興味深い光景を多数目撃。過去に二度訪れた北京ではお目にかからなかった、いかにも中国らしい光景というか……ボロボロなアパートと豪華なマンションが並んでいたり、綺麗な学校もあればそうでない学校もあり……実に多種多様な人々が隣り合わせに暮らしているというか。ちなみに後で聞いた話では、ひったくりの犯罪が多く、またそれに伴い交通事故も増えたため、広州ではバイクは禁止らしい。だから道は車と自転車ばかりだったのね。
夕食は広州市内でも比較的古い部類とされるレストランで四川料理。当然かもしれないけれど、あらゆるものが辛め。それでも日本人向けに相当控えたようなのですが、僕の両親にとっては厳しかったみたい。僕はといえば、辛いモノが好物ではないにせよ、そこそこ美味しく食べれました。
夕食後再び空港に戻り、桂林行きの飛行機を待ちます。国内線はなかなか時間通りに飛んでくれない、と聞かされていたものの、多少遅れはしましたが十分許容範囲内で出発。桂林の空港からは再びバスで移動、2連泊する桂山大酒店に着いたときにはほぼ24時近くでした。部屋に着くなりまずインターネット接続の可否を確認したところ、部屋にケーブルを挿せる口はなく、当然無線LANの電波も飛んでおらず、それ以上調べる気力も失せてふて寝(実際、身体は疲れていたし)。同行してくれる現地ガイドの中国人の方が発する「ミナサーン、ガンバッテクダサーイ」という台詞が、どうも耳に残る1日でした(謎