日本の宇宙開発50周年記念講演
著
Yuri's Night Japan 2005の特別企画、「日本の宇宙開発50周年記念講演」に参加しました。会場となった東京大学、実はこれまで一度も足を踏み入れたことが無かったため、テレビ等でしか見たことのなかった赤門と安田講堂を実に興味深く「リアルに」眺める機会に恵まれました。もっとも、行きも帰りも地下鉄千代田線湯島駅から往復で、結構な距離を歩くことになりましたが。
司会進行は、ISU方面の活動でご一緒させていただいているISASの矢野さん。プログラム上は最初のイベントであるビデオ放映が、機材の都合のためにうまく再生されなかったりするなど、スケジュール全体を通じて大小さまざまなトラブルが発生!しかしトラブルをトラブルと思わせぬ、矢野さんの素晴らしい機転と進行には、たいへん感服しました。
秋葉先生の講演テーマは「・・・、そして次の50年は?」。まずペンシルロケットの偉業に触れ、糸川教授が孤高のレオナルド・ダ・ヴィンチのように「一人で」考え続けたのではなく、「一つのグループとして」活動されたことが、技術を育てるという観点で重要であったと解説。戦時下において技術者を大幅に増やすという目的のもと、東大第二工学部には実学が身に付いた教授が多く集められていたそうですが、その教授達が糸川教授を中心に(横断的に)うまく組織化されたというのが、成功の要因だそうです。クローズド・システムに成長無し、とも仰っていました。今後の宇宙開発のあり方については、規範的未来予測と天気予報的予測に分類、前者では持続可能型社会を考えること、後者では人間社会の「共食い」が始まっていることに言及。生物がこれまで生きながらえた事実にとってキーである多様化と分散化に学び、また知能を持っているということに希望をつなげば、自ずと宇宙開発の目指すべき方向性はわかるはず、と主張されました。最後のほうでは、JAXAは肥大化して弱くなった、分散・競争させるためにもリストラをすべきだ、とのやや過激な?発言もされていました。
続いて、松浦さんの講演「日本宇宙開発にあった分かれ道」。1枚目のスライドは「1955年」。小さく始めて小刻みにくり返し、一歩一歩ステップアップしたというペンシルロケットの総括。2枚目は「1964年」。歴史的には東工大、東北大、京大でもロケット開発に向けた動きがあった(らしい)にも係わらず、宇宙航空研究所の設立によって以後のロケット研究がライバル不在に。3枚目は「1969年」、アメリカからの技術導入。史上最大級の技術移転とされるデルタロケットの技術供与が行われた背景には、東大ロケットの存在アリ。4枚目は「1984年」、国際宇宙ステーション計画の発動。冷戦の終結により政治的目的を失うまでが、西側勢力結成の象徴だったと。5枚目は「1984年」。ロン・ヤス外交を通じ有人宇宙技術の獲得を目論むも泥沼化。6枚目は「1994年」、H-IIロケット打上げ成功。NASDA設立当初の目的は達成したのだから、この時点でいちど組織を解体するぐらいの改革が行われて然るべきだった、というのが氏の主張。またQ&AのなかでISS計画にコメントされ、本来であれば「損切り」をし、これ以上係わるべきではない存在かもしれないが、継続するならやり方を変えるべきだ、と発言。
その後行われたパネルディスカッションでは、秋葉先生、松浦さんに加え的川先生がパネリストとして登壇。これまでの半世紀から受け継ぐべきもの、そしてこれからの半世紀で実現したいことがテーマ。冒頭、的川先生がつい先日公開されたJAXA長期ビジョンについて触れました。伝統的に理事長は外部から、副理事は文部科学省から着任することもあり、内発的なものが無いと説明。また総花的との批判は承知しているが、良くも悪くも今のJAXAの現状を良くあらわしており、今後の活動に向けた初期条件を示す成果と表現されました。有人宇宙開発を巡っては、松浦氏が「有人は必要だが死人の出るリスクを取れない官には無理で、官のできることといえば民からの積極的な参加を邪魔しないこと」と発言。さらに(ロケットを)打上げし放題の特区を設けてはどうか、との提言も。また秋葉先生からは「自分にもできる」という精神構造を作るべき、的川先生からは日本という国をどのような国にし、またいかに国際社会に貢献すべきかという議論なくしては論ずることは無理だが、有人を当たり前の前提としたロードマップを作るべきではないか?との意見が述べられました。
ところで、このパネルディスカッションの最後には、実は僕も発言する機会をいただきました。といっても、前日に秋山さんから打診をいただき、急遽決まったことなのですけど。既にこの覚え書きでは紹介(発表?)済みである「宇宙に行けることになった」ことについて、その経緯を踏まえ、今後の宇宙開発について簡単にコメントさせていただきました。内容的には、近い将来宇宙観光産業がビジネスとして成立し、一人でも多くの人が地球を「外から」眺め、自然保護や持続可能型社会等についてグローバルな視点でもって考える契機を得て欲しいし、またそのような産業において(自分の子供の代の頃には)メイド・イン・ジャパンの宇宙機が選択肢の一つとして利用できるようになっていたら嬉しい、といった趣旨のことをお話しました。しかし会が終了した途端、読売新聞社や産経新聞社といったメディアの方々などから取材攻勢を受けてしまったのは、5thstar_管理人_日記の「50周年講演会 part 2」にてご紹介いただいたとおり。いやはや、まさかこのような(矢野さんが予見された)展開が現実になろうとわ!!
その後お声がけをいただき、打上げ(←飲み会ね、念の為w)に参加させていただくことになりました。ようやくといいますか、ついにといいますか、秋山さんや5thstar管理人さんとお会いすることができ、直にお話できるまたとない良い機会でしたので。また、初めてお会いしたmanpukuyaさんや、宇宙開発を志す大学生の皆さんからも、貴重なお話を伺いました。松浦さんの最新著作がスペースシャトル飛行再開日に発売されそうだとか、近年いくつかの大学で有志による団体がほぼ同時期に結成されたのは、かつてIAFに派遣された学生達の意思に拠るところが大きい、などなど。ちなみに学生さんのほうが人数の圧倒的に多い飲み会でしたので、会費として7000円徴収されたのが微妙に辛かったのですが(今月の小遣いピンチです)、まぁしかしこれはこれで大変貴重な、そして楽しい飲み会でありました。またいつか皆さんとお酒を共にする機会があれば嬉しく思います。