老いる勇気 これからの人生をどう生きるか
『NHK「100分de名著」ブックス マルクス・アウレリウス 自省録 他者との共生はいかに可能か』を読んだのがきっかけで、再び岸見一郎氏の著書に興味が湧いて読んだのが、『老いる勇気 これからの人生をどう生きるか』。タイトルをまじまじと眺めると、ああ自分も歳とったもんだなあって実感します笑。
「歳をとって、すっかり欲がなくなった」という人もいます。この場合の無欲は、時として無気力という合併症を引き起こし、それが身体的な衰えを加速することもあります。
すっかり、とまではいかないけれど、若い頃と比べれば、さまざまな欲がなくなってきたのは事実だと思います。だからこそ、実はすでに無気力に片足を突っ込んでるんじゃないかって気がして、地味におそろしい。足るを知る=欲を手放す、という等式を暗に信じ込んでいたけど、バランス難しいなあ。
他者との比較だけでなく、理想の自分と比べないことも重要です。
上記の指摘が、本書のなかではダントツにありがたかったかも。他者と比較しない、は割と意識して実践していたのですが、いっぽう理想の自分とはカジュアルに比べているし、結果として落ち込んでもいます。
理想からの減点法ではなく、自分が積み上げてきたことを加点法で評価する目を持つことが、アドラーのいう「健全な優越性の追求」には必要です。
なるほど、減点法ではなく加点法ね......宇宙開発のファンであるからして、加点法の重要性は認識してきたはずなのに、自分自身に対してはいまだ減点法の意識のままだったってオチ。そこのところも今後、アップデートしていなかければいけないな、若いときは減点法で伸ばせた部分もあったけど。
いつも死のことばかり考えていると、生きることが疎かになってしまいます。死のみに意識を向けることで眼前の課題から逃げている、あるいは問題を転嫁する態度ともいえます。
確かに納得はできるのだけど、私は田坂広志先生の教えからメメント・モリ、死を忘れるな、というのを日々胸に刻むようにしているからね。これも程度問題、バランスが肝要ということなのでしょう。今のところ、生を疎かにするほど死に囚われてはいないつもりです。
親の幸・不幸は、子どもに伝染します。子どもの幸せを願うのであれば、親がまず幸せでなければいけません。
家族の幸福を思うなら、まずは自分が幸福であること。それ以上のことはできない
ともあって、なんか救われる気がします。理由は、うまく言語化できないけれど......自分の幸せを優先しようとするところに一種のエゴと、それとセットで罪悪感を抱いてしまうから、かな。
何もできなくても、こうして生きて一緒にいられることが「私たち」の幸せであり、それだけで互いに貢献し合っているのだと思うことができれば、夫婦の関係は変わるはずです。
夫婦に限らず、さまざまな人間関係に応用可能な、大事な指摘かと。いずれは必ず、別れの時がくるのだから、それをわかったうえで、今をどう生きるべきかって話。がんばります(謎
@kazuhitoは、木達一仁の個人サイトです。主に宇宙開発や人力飛行機、Webデザイン全般に興味があります。Apple製品と麺類とコーヒーが好きです。南極には何度でも行きたい。アクセシビリティおじさんとしてのスローガンは「Webアクセシビリティ・ファースト」。