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身近な人間関係が変わる 大切な人に読んでほしい本

山手線の車内広告で、ふと『子どもとの関係が変わる 自分の親に読んでほしかった本』てのが気になったんですが、調べるうち同じ著者の『身近な人間関係が変わる 大切な人に読んでほしい本』のほうが気になって、買って読んでみました。なかなか刺さる表現だったり、自分自身についての新たな発見もあって、面白かったです。

回避型アタッチメントの行動パターンを身につけているのは、自覚はないのかもしれませんが、他者との距離が近づきすぎることを好まないのです。このタイプの人にとって、関係が深まりそうになると逃げ腰になるのはよくあることです。

そういう名前のついた行動パターンとは自覚してこなかったけど、まさに自分は回避型アタッチメントだわ。関係が深まりそうになると逃げ腰になるっての、身に覚えがありすぎる。山歩きをずっとソロで続けているのも、その辺りに理由?動機?があるかもしれない。若い頃に、自分が回避型と知ったうえで対策を取れてたら、もう少しうまく生きれたのかな......。

生まれつきナルシストだったり傲慢だったりする人はいません。そういう態度は育てられ方によって身につくのです。たいていの場合、子ども時代に自分や家族が上位の存在として扱われた経験からそうなります。

ありがたいことに私は大切に育ててもらえた、成人までの期間を経済的に何不自由なく過ごしてこれた点で、両親にはとても感謝しているけれど、結果としてそれが自分のなかに傲慢さを育む一助になったという自覚があります。そう明確に意識したのは実家を出て、経済的に自立してからのこと。この点も、ちょっと遅きに失した感。

境界線を引き、もっと自分のニーズを満たし、自分の目標に向けて手を伸ばせば——自分自身を知り、尊重し、愛することができるようになれば——周囲の人々も変わり、あなたを愛し尊重するようになります。

仕事を減らし、自由に使える時間を増やさせてもらっている今は、かなり自分のニーズを満たせているはずだし、ワガママ過ぎると思えるほど自分自身を尊重しているつもりだけれど。それで周囲は変わったかというと、正直わからないです。ストレスレベルが確実に下がったぶん、人当たりの良さは改善してるはずだから笑、そこがどう映っているか次第かな?

人間関係の問題に直面したとき、問題があるのは相手のほうだと思い込み、自分はただの傍観者であるかのようにふるまう人は大勢います。相手がどんなにひどいかをあれこれ考えるほうが、自分側の原因を探るよりも楽だからです。

言い得て妙。圧倒的にラクなんですよね、他責思考は。ただ、その傾向に陥る限り、より良い結論なりアウフヘーベンに至りようもないのだなあと。後述されている相手のものの見方を理解し、自分がどう感じるかを伝えるチャンスと捉えることができるかどうか、は確かに鍵だなと思いました。

「幸せ」とはこうした一時的な感情であり、ずっと幸せなままでいることは不可能なのです。

......不可能であるがゆえに、不可能と知ってなお、「幸せ」に永続性、継続性を求めてしまう傾向、あるなーと思いますね。まさに、ないものねだり。

対処しきれない事態に直面するのは恥ずかしいことではありません。強さとは、ただ我慢強くあることではなく、自らの弱さを認め、それを抱えながら生きていけることです。

たいへん励まされる言葉。40代半ばにもなってようやく、自らの弱さを認め、それを抱えながら生きていけるようになったと思えたかな。実に、時間のかかったものだねぇ。それだけプライドの高い、嫌なやつだったということだろうし、外面をよく見せるのに必死だったのだろうね。50代となった今は、そうでもないつもりです、さすがに笑。

誰かの成功によって自分が責められているように思えるなら、それは他者の見かけ上の成功と、自分の内側にある劣等感を比べているからです。つまり、他者の外面と自分の内面を比べているのです。

ここのロジックがまた、面白くて。なるほど、「他者の内面」なんか絶対に見えないし、「自分の外面」というのは客観視しづらい。ゆえに、認知しやすいところの「他者の外面」と「自分の内面」の両者を、必然的に比較してしまうわけですね。そこに無益な一人相撲の要素が生まれるわけで、なんか妙にしっくりきました。

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