お金の減らし方
森博嗣氏の『お金の減らし方』、とても面白かったです。随所に感じられる、なんともいえない実直で「身も蓋も無い感じ」が素晴らしく、共感できる内容も多くありました。
自分の好きなことをしている人は、まるで自由人のように傍から見えるけれど、時間とお金が潤沢にあるから、好きなことができるのではない。それは全然違う。かなり苦労して、時間やお金を生み出している。
まぁそうでしょうねと思いつつ、心のどこかで全肯定はしたくない気持ちがあります笑。それはおそらく、資本主義のバグのようなものを突いて「濡れ手で粟」状態になったと思しき人(誰)に対する羨望であり、やっかみであると思うのですが。苦労は苦労でも、その質と量が問われるっていうかな。
多額のお金を持っていても、なにも良いことはない。そのお金を、自分が欲しいもの、やりたいことと交換しなければ、価値は生まれない。お金を失うことで、価値が得られるのだ。
お金それ自体に価値はない、お金以外の何がしかに変換して初めて価値が生ずる、というのはまったくもって御意。ではあるものの、幼少期から刷り込まれてきたお金の捉え方だったり使い方なんかの呪縛もそこそこあって、謎の割り切れなさも感じていたりするという。貨幣経済の不思議さよ。
必要なものの多くは、実は絶対に必要というわけではない。なにしろ、それを買う今現在、それがなくても過ごせているからだ。一方、欲しいものは、それ自体でかなり説得力を持つ。
必要なものを買え、欲しいものは後回しにせよ、みたいなメッセージが一般的に語られがちと思っていただけに、新鮮。本書の後段で、お金は、自分の欲しいものに使う。必要なものよりも、欲しいものを優先しなさい、というのが本書の主な内容
ともあって、なるほどなーと。
人間の楽しみというのは、結局は自己満足なのだ。自分が満足できる状況へ自分を導くことが、つまり人生の目的であり、すなわち「成功」というものである。
成功=自己満足、というふうに結びつけると、この世のすべての成功を矮小化してしまうかの懸念を感じたものの、よほどの偉業を成し遂げた偉人でもない限り、それはきっと誰の記憶にも後世にも残らない程度の成功なのであって......なんて考えたら、然もありなん。
素直に憧れること、羨ましがることが、人を成長させる原動力となる。子供のときには、それができたはずだ。
これも確かにねー。自分もいつからか、そういう感情を抱くことに一定の気恥ずかしさを覚えるようになっていたけれど、もっと誰かに憧れたり羨ましがったほうがいいし、そうすべきなんだな。前段で語られているように世の中に運、不運はあるけれど、これは偶然のばらつきであり、おしなべて見れば大差はない
というのが、真実なら。
@kazuhitoは、木達一仁の個人サイトです。主に宇宙開発や人力飛行機、Webデザイン全般に興味があります。Apple製品と麺類とコーヒーが好きです。南極には何度でも行きたい。アクセシビリティおじさんとしてのスローガンは「Webアクセシビリティ・ファースト」。