Re: ツイッター(現X)から距離をとって1年くらい経って思うこと
いけちさんの書かれたツイッター(現X)から距離をとって1年くらい経って思うこと - 迎え角30deg.を読みました。
2009年の元旦にツイッターのアカウントを作ってから16年が経った。幸いなことに凍結させられることも無くまだアカウントは生きている。ただ、もう以前のように日常的に呟くような使い方はしていない。
TwitterからMastodonに軸足を移すという記事を書いてから2年半近く経ちましたが、Xこと旧Twitterへの投稿は、自分も基本的に控えています。IFTTTによる自動投稿(Raindrop.ioにブックマークしたページと、Flickrで「お気に入り」した写真、この覚え書きの更新情報)がたぶん9割で、残り1割が拡散を期待した手動投稿。
別の場所でまたSNSをやり始めて感じたのは、現代のSNSに大事なのは「見たくないものを見ない権利」があるかどうかなんだということだ。
「見たくないものを見ない権利」という言い回しが、なるほどなぁと思いました。「見たくないもの」でも強制的に見せて脊髄反射を促し、少しでも長く場に滞在して可処分時間を消費してもらう‥‥ことがSNSの運営元にとって唯一、経済合理性を担保するための手段とは思わないけれど、そういう傾向をXからは強く感じてましたから。
見たくないもののために見たいものをが流れてくる場所を捨てるのは勿体ない気もするが、そうすることで得られる精神の安定が一番大事だ。
御意。ただまぁ私にとって登山とか山小屋界隈については引き続き圧倒的にXから情報を入手するのが便利だし、住んでる地域や勤務先近辺のローカル情報についても同様だから、リストを作ってそれぞれ固有のTLを眺めてます。それでなんとかS/N比を許容範囲に収めてるっていうか、「見たくないもの」を視界に入れないようにしてるつもり。
そもそも「SNS」らしい自分の居場所を作り上げるには情報のgive and takeを継続することが必要である。好きなものや趣味の話を発信し続けていれば、少しずつ同じことに興味を持つ人たちが集まってくる。
Mastodonにおいて「同じことに興味を持つ人たちが集まってくる」感覚を私は今だ持てていないけれど(苦笑)、それはきっと私の投稿が雑多すぎて、集まりにくいんだろうと思っています。とはいえ居心地は決して悪くはなく、それはつまり「見たくないもの」を強制的に見させられるような仕組み、アテンションエコノミー至上主義的なアルゴリズムになっていないから、なんだろうなと。
@kazuhitoは、木達一仁の個人サイトです。主に宇宙開発や人力飛行機、Webデザイン全般に興味があります。Apple製品と麺類とコーヒーが好きです。南極には何度でも行きたい。アクセシビリティおじさんとしてのスローガンは「Webアクセシビリティ・ファースト」。