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Re: 「正しさ」の罠

「正しさ」の罠: 極東ブログは、読み応えのある記事でした。

現代の社会においてSNS(ソーシャル・ネットワーキング)は、「正しさ」を競い合う巨大な闘技場と化してきた。ある社会問題について「意見」を述べると、即座に賛否両論が飛び交い、それぞれの陣営が「正しさ」を独占しようと激しい論争を繰り広げる。

巨大な闘技場という比喩が個人的にツボりすぎて、笑いました。いや本当にX(旧Twitter)はそれな、です。もっとも、3年前の時点で私はXからMastodonに軸足を移しており、以前と比べXは見ない・使わないようにしてきましたから、実態がどうかは正直わからないのですけど。

なぜSNSでは、物事が極端な二項対立として現れるのか。その背景には「誤ったジレンマ」と呼ばれる思考の罠が潜んでいると思われる。これは複数の選択肢が存在するにもかかわらず、意図的にあるいは無意識に二者択一の状況を作り出してしまう論理的な誤りである。

「誤ったジレンマ」というのが自分は初耳だったのですが、誤った二分法としてWikipadiaにも掲載されている言葉だったのですね......勉強になります。ただ、上記の解説よりかは、Wikipediaにある実際には他にも選択肢があるのに、二つの選択肢だけしか考慮しない状況という説明が、シンプルでわかりやすいと思いました。

この誤ったジレンマは「正しさ」という幻想と結びつきやすい。いやほとんど結びついて提示される。そして二者択一の図式が提示されると、私たちは自然とどちらかの立場を「正しい」ものとして選ばざるを得なくなる。そして一度、ある立場を「正しい」と判断すると、その反対の立場は「間違っている」という烙印を押されることになる。

かつて「正しさ中毒」とでも呼ぶべき症状に見舞われていた(いや今もか?)自分が思うのは、多くの人が二者択一のように理解しやすく、わかりやすい構図に魅了されがちではないか? ということ。加えて、そもそも人間には正しくありたい、正しい側に立っていたいという根本的な欲求があるのではないか? とも思っていて。

私企業が運営するSNSは基本、可処分時間をいかに奪うかという至上命題をもって作られたアルゴリズムで制御されているはずですから......見かけ上の「正しさ」をだしに二項対立を演出し、人間のもつ根源的なところを上手にくすぐって、ユーザーを引き留めているのかもしれません。だいぶ穿った見方ですけど。

こうした「誤ったジレンマ」における「正しさ」の追求がもたらす最大の問題は、それが対話の可能性を閉ざしてしまうことにあり、結果的に見れば、対話を潰すための装置である。この装置が作動し、さらにメディアが加担すると、異論それ自体が正義ではないとして排除される。

実に深刻な問題を指摘されているなあと。人間、誰しも正解を選択し続けたいはずですけど、結果としてそれが他の選択肢なり可能性を閉ざし、自らを悪しき思考停止へと積極的に誘導するかもしれないのですよね。巨大な闘技場と同じくらい、対話を潰すための装置も言い得て妙。

SNSにおける「正しさ」の追求が、かえって対話を阻害し、問題の本質から私たちを遠ざけているとすれば、「正しくない」という選択には、アイロニカルだが、新たな可能性を見出せるのではないか。誤ったジレンマの罠を認識した上で、意識的に「正しさ」の競争から距離を置く態度である。では「正しくない」ことを選ぶとは、具体的にどのような態度なのか。それは第一に、提示された二項対立を、一旦忘れる姿勢である。

「正しくない」ことを選ぶ、とは違うかもしれませんが、私が二項対立の図式に簡単に巻き込まれないために実践しているつもりなのは、正しさを(絶対的ではなく)相対的なものと捉えることです。その発想が田坂広志先生のおっしゃった「割り切る」ことなく、その矛盾を把持し続けることにも繋がると信じています。

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