プロフェッショナル進化論
著
田坂広志先生の著作で、だいぶ前に読み終えていたけど覚え書きはしていなかったなかから、『プロフェッショナル進化論 「個人シンクタンク」の時代が始まる』よりいくつか引用。
「言葉で表せる知識」が価値を失っていくに従って、相対的に、こうした「言葉で表せない智恵」が価値を持つようになっていく。
Webの普及に加えて、本書が出版された当時はまだ起きていなかった環境変化として、今や生成AI技術すら普及してますからね。言語化された情報、知識というのはますます、価値が下がっているかの印象があります。あくまで下がっている、であって、価値が無くなったわけではないと思うのですが。モノ消費からコト消費を経てトキ消費へのシフトとも、どこかリンクしていそうな変化と捉えています。
ネットの世界に溢れる無数の情報、その「情報洪水」の中から、トレンドを掴む、大局を観ずる、エピソードを味わう、物語を感じる、といった能力を発揮して、初めて「シンクタンク」としての役割を果たすことができる
田坂先生の著書ではたびたび、直感を磨くことの重要性が語られてきたと思いますが、それに通ずるフレーズと感じました。なかでも自分は大局観を大事にしたいと思っていて、大局を意識することが、日々大量に流れ込んでくる情報に踊らされないためにも必要だと思っています。部分最適に偏ることなく、全体最適を忘れたくない、そのスタンスとも重なるところです。
「大切なことは、すべてが語り尽くされた」後の現代において、我々が為すべきは、言葉に「言霊」を宿すこと、その「言霊」を通じて、世の中に良き「行動」を生み出すことであると覚悟している
しばらく前から仏教とか禅の考え方に興味があって、それ関係の本を読んだりしてますけど、ブッダの時代ですでに「大切なことは、すべてが語り尽くされた」感はあるのですよね。有史以来程度の時間では人間の本質は変わりようがない、からかもしれませんが。同時に、その「大切なこと」がなかなか世に聞き入れられていない感覚もあって、言霊を欠いている所以かもしれません。
これからの時代、すべてのプロフェッショナルには、「書く力」だけでなく、「語る力」が求められるようになる
ありがたいことに、勤務先では毎月コラムの寄稿だったり、2〜3ヶ月に1度はセミナー講師を務めることを仕事としていただいています。完全に独学であり、そうであるがゆえに客観的には大して進歩していない感はありますが、それでも「書く力」「語る力」を鍛えさせていただけているのは、ありがたいです。いちプロフェッショナルとして。
一人の人物が心に抱く「思想」は、その「思想」を体現して人生を生きたとき、初めて「生きた思想」となる。それゆえ、「思想」とは、歳月をかけ、深く育んでいくべきものである。
自己紹介のページで、思想を行動で裏付ける
なんて生意気なことをいつから掲げてきたか忘れましたが(苦笑)、思想は体現されてこそという感覚は確かに自分も抱いてきましたし、その前提において一定の年月を要するとの感覚もありました。逆に言えば、そういう時間なり経験を伴わずして思想を本物にはできない、みたいな。