深き思索 静かな気づき
著
田坂広志先生の著作で、だいぶ前に読み終えていたけど覚え書きはしていなかったなかから、『深き思索静かな気づき:仕事の思想を高める25の物語』より、いくつか引用。
社会全体での「情報共有」が、多くの人々の間での「情報共鳴」を起こし、社会の隅々での「自己組織化」を促そうとしています。
残念ながらSNSが、ひいてはWebというものが、どちらかといえば社会を分断する方向に機能しているように思えてならない昨今を、先生はどう捉えていらっしゃるだろうか。たとえ技術的には情報が共有されている状態にあっても、人は見たいものしか見ようとせず、聞きたい話しか聞こうとしない前提においては、社会全体での「情報共鳴」なんて夢のまた夢、そもそも「情報共有」自体が不可能とすら思えてしまう......。
二匹のやまあらしは、離れたり、近づいたりを繰り返し、ようやく、最適の距離を見いだしたのです。
「やまあらしのジレンマ」は割とよく知られた話だし、エヴァンゲリオンのおかげで一躍有名になったようにも記憶していたけど、オチまでは知らなかったな。ハッピーエンドではなくバッドエンドと思い込んでいたけど、そうでもなかったのね。
しかしこのくだりの後に続く、我々の「こころ」は、「寒さ」と「痛み」のジレンマの中でしか、「最適の距離」を見いだすことができないのではないでしょうか
との問いは、実に興味深い。逆に言えば、その種のジレンマを経ずしてつかんだ距離感は所詮、幻であり、思い込みであって、最適の距離ではない可能性があるわけですね。
我々が、日々の生活や仕事において使っている「論理」というメス。それもまた、「知識」を得るための道具であるとともに、「生命」を見失ってしまう
上記は「魚の解剖実験」というタイトルの物語からの引用で、ほかの著作にも確か出てくるエピソード。私はこのエピソード、要素還元主義の限界......すなわち、一部だけを取り出して全体を理解しようとすることの限界を表現したものと理解していたれど、加えて論理と知識、生命と非生命の対比すら含んでいたのだと思うと、改めて味わい深い話だと思いました。