どうせ死ぬんだから
著
『どうせ死ぬんだから 好きなことだけやって寿命を使いきる』を読了した覚え書き。
古代ローマ時代から伝わる「メメント・モリ」は、死を意識しろという言葉だけれど、その対句として「カルペ・ディエム」というのがある。それは「今日という日の花を摘め」という意味
「メメント・モリ」は田坂広志先生が著書のなかでもよく取り上げていたから知っていたけど、「カルペ・ディエム」は初耳だったので、Wikipediaで調べました。曰く、
2つの語句は相反する世界観を表しているともいえる。「その日を摘め」が後事を考えない、後悔のない人生を送ることを勧めているとすれば、「メメント・モリ」は質素で謙遜した、柔和な存在であることを勧めている。
なるほどわからん笑。本当に2つの言葉は相反しているのだろうか? 私の理解力では、そうは思えません。
人の死を目の当たりにすることがないと、とどのつまり、まるで人間は死なないかのような幻想を抱いてしまうのかもしれません。
核家族化が死に対する恐怖感を高めている可能性、言われてみれば確かにあるかな。とはいえ自分が生まれるより前の時代において、死がどれだけ日常的で身近な存在だったか想像するのは難しい。現代医学の発達により、そう簡単に死ななくなったのは確かだけれど、生命を脅かしかねない要素は今も昔も身近にありふれている気が。
「日本尊厳死協会」のホームページを参考にした、リビング・ウィルの一例を掲載しておきます。リビング・ウィルについて、詳細を知りたい方は、ぜひ同協会のホームページでご確認ください。
日本尊厳死協会の存在は初めて知ったし、リビング・ウィルという言葉も初耳。リビング・ウイルとはというページにある「私の希望表明書」ってフォーマットが興味深いし、参考になりますね。今すぐ自分用に「私の希望表明書」を作るつもりはありませんが、しかし作っておくことで、いつかは訪れる自分の死と向き合いやすくなるかもしれない。
とにかく動く、とにかく頭を使う。身体と頭を使い続けることを心がけてください。使えば使っただけ、老化を遅らせることが可能です。
身体にしろ頭にしろ、錆びつかせたらダメってことですね。年齢的に、無意識・無自覚にラクなほうへ流されやすくなっているのは実感しているので、注意しなくては。
人間関係が豊かなほど老いは遠のく。人づき合いが億劫になったらボケる
いろんな本で書かれていることではあるけど、やはり認知症予防には人間関係が重要らしい。いまだ人見知りだし、どちらかといえば孤独でいるほうが好きで、登山ももっぱらソロばっかりやってるから、どうなることやら。たまーに気が合う方と小人数で飲み食いするのは好きなんですけど、仕事をやめたらパッタリ無くなりそう。