mixi2とか分人主義とか
著
突如として現れた国産SNS、mixi2。当初はさほど興味が湧かず、加えてアカウント名にkazuhitoを使うことができない(すでに他のどなたかに取得されていた)ため、登録するつもりはなかったのですが......何やらインターネット老人会が盛り上がっていると聞き、インターネット老人の端くれとして以下略。
このニュースに関連して、たいへん興味深く読ませていただいたのが、【追記あり】これからのSNSに必要なのは「分人主義」(mixi2リリースに寄せて)という記事。著者名の「カイ士伝」という文字列を目にした瞬間、謎に懐かしさがこみ上げてきました......いや私が単に追いかけてなかっただけで、Blogは続けてらしたんですねぇ、というのはさておき:
Twitterも普段のアカウントと趣味用のアカウントを使い分けている、なんて人は珍しくもない。そしてmixiはコミュニティだけでなくアカウントとしての分人主義も取り入れていて、1つのアカウントに対してデフォルトで最大3つまでのユーザーを作成して使い分けることができます。
上に引用したくだりに登場する「分人主義」という言葉、私はこの記事で知りました。記事からリンクされている「分人主義」公式サイト|複数の自分を生きるでは、次のように解説されています:
「個人」は、分割することの出来ない一人の人間であり、その中心には、たった一つの「本当の自分」が存在し、さまざまな仮面(ペルソナ)を使い分けて、社会生活を営むものと考えられています。
これに対し、「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。この考え方を「分人主義」と呼びます。
それで気づいたのですけど、昔から同じSNS上で複数アカウントを使い分けることに抵抗感があり、実際そうしてこなかったのは、自分のなかで分人主義に対する忌避感が確かに存在したからだろうと。分人という考え方を否定するつもりはないのですが、それに抗うことで敢えて「全部引っくるめた」個人を表現したかったっていうか。
もちろん私だって、環境や状況によって普通にキャラを使い分けるし、ウラ・オモテだって当然あるし笑、詰まるところ分人主義をどこまで受け入れ、実践するかは程度の問題と感じますけど。何かと効率は悪いかもしれないにせよ、分人より個人にこそ私は魅力を感じます。ネットをリアルと地続きで捉えがちな古いタイプの人間であるがゆえ、かしらね?
S/N比が悪すぎて「全部引っくるめた」個人となんか接したくない、という人は当然いるでしょうし、むしろ多数派かもしれません。結果、私から人がどんどん離れていったとしても、それはそれで仕方ないですね。今さら複数アカウントを上手に使い分けられるほど、器用な人間になんかなれそうにないし、なるつもりも(今のところは)ありません。