執着を手放して「幸せ」になる本
著
『「もう傷つきたくない」あなたが執着を手放して「幸せ」になる本』を読みました。自分にとって執着って呪いの一種みたいなもので、死ぬまで付き合っていかないといけないとは思っていますが。まず、その執着の定義について
一定の「人」や「もの」あるいは「状況」に心がとらわれ、放れようとしない状態
とあり、これはまぁ理解できます。「離す」ではなく「放す」という表記を採用しているあたり、新鮮というかこだわりを感じました。しかし、わからなかったのは
捨てるのでもなく、あきらめるのでもなく、手放す
という言い回し。捨てるとか諦めるのと、手放すことの違いは一体何なのか? ピンと来ないし、最後まで腑に落ちませんでした。手放す、という行為については別途
人やものへの執着を解放しつつ、執着に映し出される感情も一緒に解放すること
ともあって、外的要因のみならず内的要因もセットで......というのがポイントなのかなとも思ったけれど、感情をセットで捨てたり諦めることだって可能よなーと思ったり。逆に腑に落ちたのは
こだわりと執着の違いとは、そこに「喜び」があるか、「苦しみ」ばかりを伴うかにある
というくだりであり、また執着が、あなたの「選択肢」を奪っている
という表現。視野狭窄に陥り、ほかの選択肢が目に入らない状態を執着、と捉えるとものすごくしっくりきます。視野を広げつつ、あらゆる可能性に目を向けることで、執着から抜け出しやすくなるかもしれない。
過去の成功体験で得た栄光のことを、心理学では「モニュメント」(記念碑)と呼びます。その成功が華々しいほどモニュメントは大きく、その後の人生を縛られてしまいます
上記も腑に落ちたというか、思い当たる節がありました。自分なりに(華々しくはないけれど)上手くいったと思うパターン、頑張り方に囚われていた時期があったなぁと。加齢だったり環境の変化が原因で、同じ頑張り方ができなくなったり通用しなくなったとき、それはそれは激しいストレスに襲われていたものね。