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旅をする木

自分は星野道夫氏についてはほとんど無知で、だいぶ昔に一度だけ、写真展に足を運んだ記憶があるくらい。なので、少しずつテント泊の山行の都度、読み進めた『旅をする木』では、氏の文筆家としての側面にちょっと圧倒されました。こんなにも詩人で、数々の素敵な言葉を遺されていたとは。

人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう。

とてもわかる気がします。心の深さ云々だけではなく、記憶力(の弱さ)だったり、総じて愚かさなんかは、人が生きていける理由なり要件になっている気がしますね。

一夜のうちに、秋色がずっと進んでしまったのです。北風が絵筆のように通り過ぎていったのです。

うーん、この北風が絵筆のように通り過ぎていったってくだり、本当にすごい。一夜のうちに、というのは残念ながら経験がないけれど、ごく短期間のうちに北アルプスが姿を変えてしまうのは知っているので。的確すぎる、以上に詩的すぎる。

千年後は無理かもしれないが、百年、二百年後の世界には責任があるのではないか。つまり、正しい答はわからなけれど、その時代の中で、より良い方向を出してゆく責任はあるのではないか

環境問題などの社会問題について言及した後に出てくるくだり。「将来」「未来」に対する時間軸の切り取り方って人それぞれだと思っているけど、上記の発想をもってすれば、今何を為すべきかに対する合意を作りやすそうではある。

かけがえのない者の死は、多くの場合、残された者にあるパワーを与えてゆく。

実に、慰められる言葉。ただ悲しいだけではなく。

ぼくはドンが好きだった。どこか、ひとつの人生を降りてしまった者がもつ、ある優しさがあった。

ひとつの人生を降りてしまった者という言葉に、思い当たる節を強烈に感じます。とはいえ、ドンから星野氏が感じ取っていた類の優しさが、自分にあるとは思えないけれど。人生における選択のなかには、そういう「ひとつの人生を降りてしまった」感覚を避け難く強制するものがある、ということか。

すべての生命は無窮の彼方へ旅を続けている、そして、星さえも同じ場所にとどまってはいない。

星さえも!!そう、星さえも。一見、微塵も動かず永遠不滅に思えるのにね。すばらしい表現だ......もうひれ伏すしかない笑。

その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって......その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって

このフレーズが、本書では一番刺さりました。これは星野氏自身の言葉ではなく、友人が聞いた話の伝聞、つまり「又聞き」。泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかという問いに対する答えとして紹介されるくだり。そうだ、そのとおりだ。そして実はそれは、10年くらい前から山歩きを趣味にしてきた自分が、実は目指しているかもしれないこと。

あわただしい、人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。

アラスカの壮大さには敵わないかもしれないけれど、自分はいつも、北アルプスの、特に黒部の景色を思い浮かべます。あそこにはあそこの、固有の時間が流れていると。

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