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田坂広志「21世紀の知」を語る

本日、覚え書きをする田坂広志先生の著書は『田坂広志「21世紀の知」を語る』。

資本主義や企業経営が真に成熟していくためには、実は、その根底にある、我々一人一人の「物事の見方や考え方」、すなわち「知の在り方」も成熟していかなければいけない。

......激しく同意。個々人が変われなければ、寄り集まった組織も社会も変わりようがない。

いま、自分が語っていることが、単に書物で読んだ「知識」なのか、体験を通じて掴んだ「智恵」なのかを、常に省みる

その種のチェック、セミナーのような不特定多数を前にして何かを語らないといけない場面では割と実践できていると思いますが、日常的にやれているかというとNO。しかし自分の体験というのは結構いろんな解釈が可能だと思っていて、時間が経ったものについては尚更、こじつけて捉えることができてしまいそう。

「知識」を学んだだけで「智恵」を掴んだと思い込むのは、別のくだりで指摘されているとおり、避けるべきとは思いますが、体験を重視するとなると今度はリソース(時間、体力、お金 etc.)との兼ね合いで苦しむことは不可避。まぁ「知識」にしろ「智恵」にしろ、生半可では遅かれ早かれボロが出るわけで、バランスとりつつ頑張らないとねぇ。

現代においては、「知行分離」、すなわち「理論の知」が「行動の知」から分離してしまっている

良くも悪くも、知識を入手するためのコストが下がったという点では、やはりインターネットの影響というのは甚大なんでしょうね。簡単に知った気・わかった気になりがちなどころか、やりもしないのにやった気、行きもしないのに行った気なんかにもなりがち......というのは気をつけないといけない。

生々しい現実と格闘する「行動」の中からこそ、豊かな「暗黙知」に支えられた、生命力に溢れた「理論」が生まれてくるのである。

ある意味プラグマティズムに近い感じの、実践主義ですかね。果たして「理論の知」と「行動の知」のあいだでうまくバランスを取っていけるのか、それともいずれ行動偏重への反省から揺り戻しが起こるのか......と書きながら、ふと「揺り戻し」は例の螺旋的発展の別表現だなと気づきました。立体的な螺旋運動を次元を下げて観測すれば単振動であって以下略。

我々に求められているのは、「知性の知」によって「答えの無い問い」に正対し、安易に答えを求めず、向き合う力。

「正対」という言葉がポイントかと。逃げずに、真正面から。

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