田坂広志「21世紀の資本主義」を語る
著
本日、覚え書きをする田坂広志先生の著書は『田坂広志「21世紀の資本主義」を語る』。
地球環境問題の解決が遅々として進まない背景には、自然保護や温暖化対策よりも利益拡大と経済成長を優先する、現在の資本主義の根本的な歪みがある。
本当にそれ、です。
組織の総合力ではなく、個人の共鳴力によって社会を変える「共鳴力の知」が求められるようになる。
上記のくだりから、私個人の人生に対する深い示唆を感じ取ったのですけど、まだうまく言語化できていません。なぜ個人をエンパワーメントする存在としてのインターネットやWebに魅せられ続けているのか、自分が広報・PRを大学院で学ぼうと思ったのはなぜか......その辺りにリンクしているような気が。
ネット革命によって、企業や市場や社会というシステムは、その内部での相互関連性が高まり、「複雑系」としての性質を強めている。
インターネットの登場が果たして人類にとって、地球にとって、いやむしろ宇宙にとって必然だったのかどうかを考えてみると、すごく興味深いんですよね......エントロピー云々を雑に絡めて、何かこう筋の通った文脈を見出せないかなって。
複雑系全体の挙動を決めるのは、全体を支配するルールではなく、個々の要素(エージェント)の行動ルールである
......とするとですよ。人間社会に当てはめて考えるなら、個々人の行動規範こそがどんどん重要になるわけで、それはつまり倫理的教育がめちゃくちゃ大事ってお話になりませんかね。なんとなくそれも自分の考えに接続しそうというか、これから先は科学よりも経済よりも倫理の時代なんじゃないの?って。
日本には、「罪」を恐れて自己を規制するのではなく、「恥」を恐れるが故に、自己を律する文化がある
上記のくだりを否定したくはないのですけど(感情的には)、しかし本当にそうだろうか......という疑念は拭えません。喉元過ぎれば熱さを忘れる傾向が顕著なように、この国の昨今の国民性を捉えているので......恥をかいたってどうせ一時的なもの、という認識のもとに恥を恐れなくなってきているのではないかと。
地球環境問題、世界経済危機、国際的な政治不安、貧富の差の拡大、民族紛争の頻発、テロリズムの広がり、そして、突発的なパンデミック(世界的感染爆発)など、いま、グローバルな諸問題が深刻化するなかで、我々人類に求められている「新たな価値観への転換」そのものが、不思議なことに、日本人にとっては、「懐かしい価値観への回帰」に他ならない。
上記の主張は、これまで他の著作を通じても繰り返し触れてきましたし、実際そうであってほしいなと思いつつ......しかし本当にその新しくも懐かしい価値観に人類全体を包摂させることが必要かつベストの選択なのかという点で、いまいち自信が持てない今日この頃。