深く考える力
著
本日、覚え書きをする田坂広志先生の著書は『深く考える力』。そもそも深く考える力とは何か、については
それは、決して、長い時間をかけて考えることや、一生懸命に頭を絞って考えることではない。それは、あなたの中にいる「懸命なもう一人の自分」、その自分と対話すること。
と定義されています。これはある意味、他の著書でも目にする、多重人格であることや複数の人格を使い分ける能力の重要性に通じる考え方かと思います。そして対話を行うための具体的なアドバイスとして
対極の言葉を結びつける技法は、「賢明なもう一人の自分」を刺激し、その働きを促し、新たなアイデアや考えを生み出していく。
というのが刺さります。まさに止揚、アウフヘーベンというわけですね。自分の場合は、まだまだ考えを多面化するのが下手くそで......意識的に脳内でセルフ逆張りみたいなことを心掛けないと、ついつい一つの考え方に囚われ盲信してしまうので気をつけたい。
我々は、いつも、過ちを犯してしまう。「結果」にすぎないものを、「目的」にしてしまう。そして、それは、「現代の病」と呼ぶべきもの。
手段の目的化、に近い印象を受けます。同時に、先日覚え書きした『仕事の報酬とは何か』の一節、「収入」や「地位」というものが、「結果として与えられる報酬」であることを忘れ、「自ら求めて得るべき報酬」であると考えてしまう
に通じる部分と理解しました。
我々は、誰もが、必ず到来する最期の日を待つ死刑囚。百年にも満たない一瞬の生を駆け抜けていく、儚い存在。
死生観については既に先生の著書を通じて繰り返し読んできたけれど、死刑囚という喩えは、本書で初めて目にしたような気がします。なかなか、強い言葉ではありますが......そう思い込むくらいのほうが、メメント・モリのためにはちょうど良いかもしれません。
これからの時代のマネジメントは、カウンセリングの世界に近づいていく。
上記は、河合隼雄氏の言葉として紹介されているものですが、わかりみが深い。もっと早くこの言葉に出会えていたら、自分の半生の何かが違ったかもしれない、とすら思います。そうそう、他にも田坂先生自身のものではない言葉で
熊に人が襲われた記事を読むと、少しほっとするのです。まだ、そんな自然が残っているということなのですから
という、星野道夫氏の言葉にもはっとさせられました。『旅をする木』、そのうち読んでみたい。いつかはアラスカも旅してみたいと思っていますが、それよりは前に。