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未来を拓く君たちへ

田坂広志先生は、決して本書の読者を特定の年齢層に限定してはいないだろうと思いますが、しかし「どちらかといえば」より若い層を意識して書かれたはず。なので、50歳にもなろうとしている私が本書を読むのはお門違いとは思うのですけど、取締役を退任したこのタイミングでこそ、『未来を拓く君たちへ なぜ、我々は「志」を抱いて生きるのか』について覚え書きしておきたい。

誰にとっても一日は二四時間であり、一週間は七日だ。しかし、「時間の密度」は、人によってまったく違う。人によって、まったく不平等だ。

昔は時間の密度、結構意識できていたと思うのですが......ダメですね、加齢なのか定常的なメンタル不調なのか、疲れやすくなってしまって。そもそも集中力も上げにくくなってきたように感じるし(言い訳)、少しでも密度を上げようという気力が湧きません。夜は夜で、23時近くになると途端に眠くなるし、気合いを入れ直さなければ。

我々が「死」を忘れ、「不安」と「緊張」から逃れた瞬間に、やってくるのは、不思議なことに、「安心」と「平穏」ではない。「安逸」と「弛緩」がやってくる。

年々、時間の密度を意識できなくなってきているのは、まさにその「安逸」と「弛緩」そのものだなと反省。しかし、今日が人生最期の日と思い定めるのは、言うほど簡単ではないと実感しますね。実に簡単に死を忘れ、死を軽んじてしまう。

どのような仕事を成し遂げたか。それが、我々の「人生の意味」を定めるのではない。その仕事の彼方に、何を見つめていたか。それが、我々の「人生の意味」を定める。

「仕事の彼方に、何を見つめていたか」。このフレーズはとても好きです。なぜか、はうまく言語化できませんが......仕事は日銭を稼ぐ手段のみにあらず、というのは多分、若い時分から意識してきたこと。何者でもない自分なりに「大河の一滴」としてどうありたいか、それを体現する手段として捉えてきたような。

人生のすべての出来事はその「人との巡り会い」によって、導かれていく。そうであるならば、「自分の人生」を大切にするとは、何か。それは、「自分の人生で巡り会った人」を大切にするということ。

歳をとった今だからこそ、すんなり受け入れられる言葉でした。性格が丸くなっただけ、かもしれないですが。自分だけで、独りで、という意識が若い頃は強く、その裏返しとしてなかなか他者への感謝の念が湧きにくかったように思います。

死とは、人生の終わりではない。死とは、成長の最後の段階である。

死を必要以上に恐れないためにも、誦んじることのできるよう、心のなかで日々唱えることをTickTickで毎日のリピートタスクに登録しました。

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