@kazuhito
Kazuhito Kidachi's Personal Web Site Since 2000

Re: インターネットは断片化されることを望んでいる

ブログ: インターネットは断片化されることを望んでいるを読みました(原文はThe internet wants to be fragmented - by Noah Smith)。こうも強烈に「読ませるなぁ」と感じた文章は、久しぶりな気がします。

人々は、ニュース、政治、公共問題に関する議論をTwitterから離れて、もっと小さなフォーラムで行うようになりました。(中略)徐々に、人々は昔のインターネットが私たちに教えてくれた真実を再発見しているように見えました。つまり、話し相手を選ぶことができれば、議論はよりうまくいくということです。

モデレーションが存在しない、ないし存在しても機能していないような状況であれば、確かにそうなんだろうなと。そしてTwitterの現状は、良くも悪くも限りなくそういう状況に近しいのかなと。文字数の制約もさることながら、議論を成立させるための前提が相手とどこまで揃っているかの確認が困難という理由も大きそう。

オリジナルの外観と機能は簡単に複製できますが、誰もが新しいTwitterに移行するとは考えていないようです。Twitterが衰退した場合、将来は断片化されると誰もが予想しているようです。

第二のTwitterを作り出すことは技術的には可能であっても、これほど多くのユーザーが利用しているとなると、そこへの「移行」は難しいでしょう。揃って同じSNSに鞍替えだなんて、100%は望むべくもないけど、50%だって難しいのではないかな。よほど何か強烈なインセンティブ、キャンペーンか何かでも無いと......となると断片化、分極化というのは自然の成り行きとして妥当な気が。

人類はグローバルな集合意識になりたくありません。私たちは、最終的に合意に達する合理的なベイズ更新者ではありません。同じ情報を受け取ったとき、それは私たちを団結させるのではなく、二極化させる傾向があるのです。

二極化させる傾向は、Twitterはいよいよ限界?もう引っ越ししかない?2023年のSNSとの付き合い方を考えるのなかで渡辺由佳里氏が紹介しているレベッカ・ソルニット氏の言葉、「ニュアンスや複雑さを明確な二次元論に押し込もうとする衝動」と合致する印象を受けます。二極化/二次元させたほうが何かと「わかりやすい」がゆえ、そういう流れに惹かれてしまい同調しやすい側面もありそう。

人々は、Twitterを「街の広場」として不可欠な公共空間だと呼んでいますが、現実の世界には街の広場は一つだけではありません。沢山あるのです。そして、インターネットは、市長や地元の文化が気に入らなければ、別の町に移動することができるのです。だからと言って、意見の合わない人と誰も話をしない世界が必要なわけではありません。厚い壁の代わりに、半透膜が必要なのです。

もしかすると、その半透膜としての期待を集めているのが、ActivityPubだったりするのかしら。知らんけど!

おそらく、いつの日か人類は一つの集合意識になる準備ができるでしょう。しかし、2010年代の実験は、この日が今日ではないことを示しています。インターネットをもう一度、逃避の場 -- 仲間を見つけ、幸せになれる場所 -- にしようではありませんか。もう一度、千の異なる言語を話すことを学びましょう。バベルの塔を倒しましょう。

バベルの塔、なかなか良い比喩だなあと。もとよりインターネットとかWebって、バベルの塔っぽいなって常々思っているので。ただ上記においてバベルの塔に喩えられているのはあくまで中央集権型SNSであって、インターネット全体ではないと思います(ゆえに記事タイトルの「インターネットは断片化されることを望んでいる」は主語がややデカいなと感じています)。まぁ宇宙人でも攻めてきたら人類は一つの集合意識になる準備ができるのではと期待......笑

現在地:ホーム > 覚え書き > 月別アーカイブ > 2023年1月 > Re: インターネットは断片化されることを望んでいる
Google カスタム検索を利用しています