ボクはやっと認知症のことがわかった
著
積ん読消化 Advent Calendar 2022の10日目の記事の題材に選んだのが『ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』。長谷川式スケールと呼ばれる認知機能検査の開発を主導され、また「痴呆症」から「認知症」への呼称の変更にも尽力された方の著書です。
そのときどきの身体や心の具合によって、認知症はよくも悪くもなる。だから、「一度なってしまったらおしまい」とか、「何もわからない人になった」などと思わないでほしい、特別扱いしないでいただきたいと思います。
症状は一定不変ではない、ということはよく心に留めておきたいと思います。一日という比較的短い時間のあいだでも、症状が軽くなったり重くなったりするのね(長谷川氏の場合でいうと夕方には疲れが出てきて、それが悪影響を及ぼすみたい)。
この世に生きているうちは何とか症状が進むのを先延ばしにして、できれば、人の顔がわからなくなるのはあの世に行ってからにしたい。
これは認知症を患った当人としての嘘偽りない願いだと思いますが、自分も将来、認知症に罹ったとして、同じことを切に願うなあ。アルツハイマー型の場合、まず時間がわからなくなり、次に場所がわからなくなって、最終的には人がわからなくなるのだそうです。きっちりその順番で進行してくれよ、とも願うかもしれません。
早期診断により、記憶が失われたときに備えて、自分が今後どう生きたいのか、判断がはっきりしているうちに、いろいろな準備をしておくこともできます。
いわゆるエンディングノートのようなものを健康なうちに書き残し共有する必要があるのは、まさにそういうことですよね。世の中、突発的な事件や事故で亡くなってしまうケースだって少なくないなか、それが一番周囲に対する(そして知覚はできないだろうけど本人にとっても)負担を最小限に止めて旅立つ方法なのだろうと思います。
自分が認知症であることをいち早くカミングアウトしたクリスティーン・ブライデンさんは、「私は最も私らしい私に戻る旅に出るのだ」といいました。
旅、か......人生そのものが旅に思えますし、素敵な表現だなと思いました。それが最も重要なのは、周囲が、認知症の人をそのままの状態で受け入れていくこと
っていう主張に接続されるとますます、その旅がかけがえのないもののようにも思えます。ポジティブに捉え、受け入れやすくなるっていうのかな。
認知症でない人だって、日常生活のなかで間違ったことや失敗をたくさんするし、おかしなことも話す。それらは許容しておきながら、認知症の人には許さないというのは、明らかに理不尽だろう。
御意。激しく御意。うなずきすぎて首がもげそう。