アニメを作ることを舐めてはいけない
著
先日、劇場版『Gのレコンギスタ(以下「Gレコ」)』を完走したわけですけど、Gレコの世界観への理解を少しでも深めたくて読んだのが、総監督である富野御大が書いた『アニメを作ることを舐めてはいけない』。タイトルからして富野節なのが笑える......というのはさておき、感想としては御大の構想の緻密さと適当さ、その振れ幅の大きさにただただ感服。
『G-レコ』の基本理念と未来にむかうメッセージ性は、時代が過ぎれば過ぎるほど、若い世代に響くだろうと思えるようになった。(自惚れだ!)
TV版の当初からGレコが若者向けの作品というのは言われていたし、当然その事実をわきまえてオッサンの私は鑑賞してきたつもりなんですけど、今にして思えばGレコってめちゃくちゃCSRなりSDGsっぽいメッセージを若者に植え付けようとしているかの如く映ります。ていうか、その種の課題解決を若者にぶん投げてるんですよね、良し悪しはさておき笑。
Gとは、大地グランド、重力・厳粛のグラビティの意とする。
もうね、TV版の放映時に上記の意図だけでも知ったうえで視聴できたら、どれだけ自分の当時の感想が肯定的なものに変わっていただろうと思いました。結局GレコのGって何???って感じでしたからね。Gの意味するところを分かって見るかどうかで、感想は180度変わり得るんじゃないかと、私は思います。
宇宙世紀が終息して、資源が枯渇した地球が全体的に熱帯化して、わずかに生き残った人類は、カニバリズムの再生期をすぎてのち、新しい世紀として年を重ねた。
この経緯もまた、GレコのGと同じくらい世界観を理解するのに重要で、にもかかわらず作品中では真っ当に解説されないものだから、すんごくモヤモヤしたポイントだったなーと。ただ自分は、人類がこの先カニバリズムに突き進むほどに倫理観を損ねることができるのかという点を、疑わしく思っています。ある意味、そこだけは御大より楽観的。
かつて長距離飛行が可能だった旧日本海軍の零戦(れいせんと読む)にはトイレがなかったので、パイロットたちは糞尿の問題をどのように処理していたのかと想像すればいいだけのことだ。
Gレコが自分にとって画期的だった点の一つは、モビルスーツのコックピットにトイレが備わっているという設定で、その使用シーンもかなりの時間(尺)を使って描かれていたこと。本書では、ご丁寧に用を足している場面でトイレが流す歌『ハイフン・スタッカート』の歌詞まで載っており、非常に興味深い。
説明セリフは使わないとしたのは、劇中の人びとが常識としているようなことについては、説明をしていないという意味であって、必要な場合は劇中の日常会話のなかに埋め込んでいる。
いやー、しかし難解でした。理解できない=つまらない、という風に切って捨てるタイプではないつもりでいるけれど、それでもTV版を視聴していた当時はだいぶしんどくて。もちろん、本書を読んでなおすべてを理解はできないし、そもそも理解できるなんて自惚れてはいませんが......みんなが分かるような作品(画像)を制作していたら、独自性(独創的)のある作品は創れない
というのも、真理ですしね。