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SDGsが問いかける経営の未来

ほしいものリストに突っ込んでいたのが、あるとき値段が下がったのに気づいて買ったのが『SDGsが問いかける経営の未来』。経営目線でSDGsやそれを取り巻く動向(CSVとかESGとか)を俯瞰し、網羅的に解説をしていて、SDGs本を読むのがちょっと久しぶりだったせいもあるけど、勉強になりました。

経済合理性の追求が経済的繁栄を支える社会や環境を荒らし、巡り巡って経済価値の毀損をもたらすという皮肉な構図

この矛盾を解決ないし緩和するのに、今までと同じ経済モデルなり資本主義に頼り続けるのは不可能という認識があるけど、SDGsという名の錦の御旗を大勢が派手に振り続けてきてもなお、なかなか代案というか新しい経済モデル、新しい資本主義、あるいは合理性を測る尺度が具体的に見えてこない点で、軽く絶望というかどうしたものか感が個人的に拭えません。

CSVにより市場での競争力がさらに増し、売上と利益が創出され、結果として企業価値が創造されるという構造を実現できれば、もはやSDGs、CSV、ESG、サステナビリティの重要性を経営者が声高に叫ばずとも、経営変革は成されるのだ。

......そうなるはずだし、そうなるべきだし、多くの「共通善」がそうだと思いますが、広く世の中に定着し常識化した暁にはわざわざそれを呼ぶ言葉自体が不要となるはずなのは同意。しかしここまで多くの業種・業界でグローバル化ないし依存関係の複雑化が進んでしまった以上、CSV側面であらゆる企業の足並みをどう揃えていくか、いや揃えるのは正直無理だから最小化、こそ本質的な課題ではないかなと。それが

「三方よし」の本質は、確かにCSVに相通じるものがあるが、その「三方よし」の範囲をグローバルに広げ、かつ将来世代に対する責任というサステナビリティ/SDGsが問う時間軸を統合しない限り、「現代の世間」たるステークホルダーには根拠を欠いた自画自賛と映ってしまうことを見逃してはならない。

という記述にもうっすら表現されている気がしますが、そこで問題になるはずなのは将来世代とかサステナビリティ/SDGsが問う時間軸っていつまでの話よ?ってあたり。企業目線だけで言えば経営の存続する限り、になってしまうだろうし、SDGsが切り取った2030年まで、というのも狭量に映るし、かといって未来永劫までを含むとなれば話がデカ過ぎちゃって引く。というモヤモヤは、いつどのように解消されることになるのか?

10〜20年の長期的なビジョンを作成(Envision)し、ビジョン達成のために最も有望な授業領域や戦略を特定(Focus)する「Zoom out(長期視点)」の経営サイクルと、長期のビジョンや戦略に最もインパクトを持つ6カ月〜1年の実行計画を選定(Define)し、実行に足る十分なリソースを動員(Mobilize)する「Zoom in(短期視点)」の経営サイクルを並立させ、相互に反復させる。

中期経営計画、意味なくない?というような文脈だったと思うけれど、超長期と超短期の2軸であれこれ回していくというのはすごくしっくり来ました。言うは易し、ですが......マクロとミクロ、やっぱり両方必要だよねって単純な話にも思えます。

「世界で最も豊かな42人の所有資産総額は、世界人口の下位半数(37億人)の総所得に匹敵」「2017年の1年間に世界で生み出された富の82%が、最富裕層の1%の手に入った一方、下位37億人が手にしたのはわずか1%未満」

オックスファムの発表をどこまで信じて良いかというのはありますが、まあ衝撃的ですよねこの手の数字は。さすが資本主義バグってるな......というかこれを読んだだけでも今のままの資本主義はもう無理だなあという印象。

社会が企業に求めているのは「金儲けの下心」の放棄ではなく、「社会価値の創出による金儲け」である

儲けないと企業は存続できないですからね(少なくとも短期的には)。なので、これはもっと浸透すべき考え方だなという気がします。いっぽうで、儲けが少なかったり採算を度外視して行われる事業にはきっと社会価値があるみたいな偏見があるようにも感じていて、もしあるならそこも是正されて然るべきかと。それを究極的に言い表したのが、以下のくだりかなと。

経営の未来の姿は、シンプルに言えば、「自社の事業が成長すれば成長するほど、市場シェアを高めれば高めるほど、世界がより良くなる(より持続可能になる)」ような事業構造を追求する経営であると言える。

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