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グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか

SDGsやら宇宙開発やらの本を読んでいるうち、ふとタイトルが気になって読んだのが『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか』。素晴らしい本だと思った反面、打ちのめされもしました(いろんな意味で)。

人類による自然破壊や核の脅威といった世界的な危機に対峙するためにも、わたしたちの時間感覚を、数秒、数日、数カ月といったスケールから、数十年、数世紀、数千年というスケールへと拡張する必要がある。

数十年は感覚的にまだ理解できるけど数世紀、数千年とは言い切ったものだなぁ。でも自分が何となく必要と感じている長期思考の「長期」とは極論、そういうスケールなのだろうと感じます。いやもっと先の、数十億年後に太陽が膨張して地球を飲み込むよりずっと先......宇宙が消滅するまで、区切ることはできないんじゃないかって。

真実を認めるべき時がきた。富裕な国々に暮らす人々にとっては特に心かき乱される、この真実を。私たちは未来を植民地化してきたのだ。

かなり強い表現ではあるものの、言い得て妙。ただ、ここでいう「未来」がどれぐらい先の「未来」か、について合意形成ができない以上、社会からの賛同は得難い気も。今この瞬間を生きる人々が時間的に共存し得ない程度に先の、まだ生まれていない未来の人々とどう向き合うべきかは、宇宙倫理学という視座を手に入れた今も自分には明確ではありません。

歴史が教える最初の教訓は、それが起こる前であれば避けられないものは何もない、ということだ。植民地主義と奴隷制が終焉を迎えたことを思い出し、希望を感じよう。

短期思考が支配的に感じる現状に対して、殊更に諦める必要はないと思える、救いを感じる一節。とはいえ、上記より先に読み進めてなお、正直言って「これならきっと人類は変わることができる」という確信に辿り着くには程遠いという感想を抱いたのは事実で......そういう意味では、著者はやや楽観的過ぎるとすら感じます。

今、列車に爆弾を仕掛けて子どもを傷つけてはいけないのであれば、爆発のタイミングが10分後、10日後、あるいは10年後であったとしても、同じように許されるものではないということだ。

上記は放射性廃棄物を引き合いに出して語っているくだりですけど、短期思考に対する批判として、本書で最も強烈な比喩ではないかと思います。面倒な問題を先送りするいっぽうで、きっと未来の人類が未来の技術で解決してくれるだろうなんて思わないことですね。難しいところではあるけれど。

気候変動のような問題に対して実質的な行動を起こせない理由の一つは、ほとんどの人々(特に欧米諸国において)が、大悪臭や第二次世界大戦のような深刻な危機としてそれを経験していないことにある。影響があまりにも緩やかであるため、温度が徐々にしか上がらない水の中で生きたままゆっくりと茹でられるカエルのように、惑星の熱がゆっくりと上がる中、鍋から飛び出すことができないでいるのだ。

政治、経済、あらゆる面でこの先も短期思考から抜け出せないままでいるなら、ゆっくりと茹でられるカエルという比喩もまた言い得て妙、ということになるでしょうね。それにしても、気候変動に限っても深刻な危機は既にわかりやすく目前に提示されているのに、どうすれば社会全体で長期思考に向かって舵を切れるのか。教育? 広報?? 自分にはわからない......。

南極やエベレストの頂上を含めてさえ、これほど穏やかな環境を提供してくれる場所は、太陽系内に他に存在しない

上記は宇宙物理学者のマーティン・リースの言葉として紹介されているもの。直近の1万年間が奇跡的に気候が安定している事実を加味すれば尚更、この環境を何がなんでも維持し守らなければならないという気にもなります。さて、どうしたものか。

経済学者のケイト・ラワース(ちなみに私のパートナーでもある)が考案した「ドーナツ経済学」

上記のくだりを読んで心底、びっくりしました......マジでかー。ドーナツ経済も最近読んだなかでは感銘を受けた本だけど、まさかその著者のパートナーが書いた本を、それと知らず読んで打ちのめされるとは。こんなことって、実際にあるんですね。

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