ドーナツ経済
著
少し前に読み終えた『ドーナツ経済』について。大学院に入学しSDGsについて興味を持って調べ始めて以来、関連する書籍を何冊か読んできたけれど、本書が最も刺激的かつ希望に満ちた内容でした(膨大な量の原註と参考文献には驚きました)。著者のケイト・ラワース氏がドーナツ経済という概念を提唱したのは、ミヒャエル・エンデ氏がお亡くなりになった16年後の2011年でしたが、ご存命中にエンデ氏が知ったらきっと支持されただろうと個人的には思います。
経済は社会や自然のなかにあるものとして、また太陽からエネルギーを得ているものとして描かなくてはいけない。
経済と自然とがあたかも完全に切り離されたものと捉えられがちな傾向を指摘した上記のくだりは、企業の損益計算書で自然資本が取り扱われないのはおかしいとの指摘に似て聞こえます。エネルギー源としての太陽にまで経済を結びつけて語っている点が殊更に新鮮であり、大げさに言えば感動的ですらあります。
現在の経済は、繁栄してもしなくても、成長を必要としている。わたしたちに必要なのは、成長してもしなくても、繁栄をもたらす経済だ。
似て非なる概念、成長と繁栄。上記の2文は、短いながらその違いを鮮やかに描いているけれど、そもそも繁栄とは何か、については
人類の繁栄は何によって可能になるのか?その答えは、すべての人が尊厳を保ち、機会を与えられ、コミュニティのなかで暮らせる世界、地球の限られた資源の範囲内で、すべての人がそういう暮らしができる世界だと言えよう。
と記されています。「幸福とは何か」に似て、繁栄の定義につき全人類的な合意の形成は果たして可能なのだろうか? 少し前の自分なら到底無理と感じたはずだけど、これだけ気候変動に対する危機感が日常的に煽られ、かつ実際気候変動の影響を実感している昨今、合意形成するしかないよなぁとか思います。
地球規模のドーナツは壮大すぎて、経済学には扱えないものなのか。そんなことはない。これからは地球規模の時代になる。
言われてみれば確かに、もはや誰しもすべてを地球規模で俯瞰したうえで考えなければならない。それを可能にするお膳立て(地球観測衛星やインターネット接続など)は整いつつあるわけで、不十分なところはまだまだあるにせよ、見方によってはとっくにそういう時代に突入していたわけだな.....などと反省しました。
わたしたちの世代は、人間が地球という人類の家にどれほどのダメージを与えているかを正確に理解できるようになった最初の世代であり、おそらくは、大きな改革を起こすチャンスを与えられた最後の世代だ。
多くの人にとって、せいぜい子や孫の世代くらい先の未来までしか想像を働かせることは難しい(少なくともそれが「現実的」)のが実情と思うけれど、その程度のスパンにおいてすら不可逆的で破壊的な環境変化は起こり得る気がしているので、上記のチャンスをなんとかモノにしたいし、できなければ所詮、人類文明はその程度だったということ......。
なお、脱字を一箇所発見。第2章「全体を見る」に二十一世の経済にふさわしい
というフレーズがあって、「紀」が抜けていました。