宇宙倫理学
著
あとがきで「宇宙倫理学」の分野に属する日本初の研究論文集
と謳われている、『宇宙倫理学』を読みました。あー面白かった(し、線引きまくった)。同時に、研究のために読むべき参考文献が増えてしまった......『<論文>宇宙開発世論の分析 : イメージ, 死亡事故後の対応, 有人か無人か』、『高等研報告書0804 宇宙問題への人文・社会科学からのアプローチ』、『現代思想 2017年7月号 特集=宇宙のフロンティア―系外惑星・地球外生命・宇宙倫理...』は読まないと。
実は日本でもすでに1967年に「宇宙倫理学」という言葉が使用されている。それは、なんと手塚治虫によるもので、『万国博ニュース』という冊子の1967年1月号に収められた「二十一世紀の夢」と題するごく短いエッセイの中にこの語が登場している。
これは初耳。さすがですね......手塚治虫さん、真にビジョナリーなお方だったのだなぁという印象。ありがたいことに、当該エッセイの全文が本書には収録されていました。
宇宙倫理学は、こうした環境倫理学的問題意識を地球環境を超えて宇宙空間にまで拡張しようとするものであるともいえる。
SDGsにおいて宇宙空間に関する課題が取り扱われていない印象を受けるのは、一つにはその領域における法整備が未成熟でグレーゾーンなままであることに理由があると思っていたけど、上記を踏まえるなら宇宙倫理学が発展途上であるが故に、とも言えそう。ともあれ、社会課題と宇宙開発を繋ぐ架け橋として宇宙倫理学に手を出したのは正しかったな......。
「逆説的にもこれまでの宇宙開発の進歩は、地球上でなんとかやっていく方法を見出す必要性を、人類に認識させてきた」と主張されることがある。
主観的には完全に同意できる主張であり、宇宙に進出したことによる地球環境の相対化がもたらした価値と同義ではないか、と感じますね。
失敗から学ぶチャンスが存在しないために、問題が起こってからの後手にまわったreactive対応ではなく、先を考えたproactive対応をとらねばならない。
気候変動を巡ってもまったく同じ印象があります。tipping pointをひとたび超えてしまえば、もはや後戻りすることなく人類(現在世代)は絶滅に向かう。やり直しは効かず、同じ轍を踏まないためのチャンスなど無い。その事実と経済合理性なり資本主義との折り合いの悪さに、日々直面している感じ。
将来世代が陥る危機について、それを防ぐ義務が現在世代にあるということは、それほど明らかではないのである。
これは結構意外だったのだけど、さしたる根拠もなく暗黙的に義務の存在を自分が刷り込まれていたというだけだったのかもしれない、と反省はしました。同時に、じゃあどうすれば明らかにできるのかを考えると、そんな日が果たして将来(倫理学の進歩によって?)来るのだろうか? という不安が大きいです。