宇宙旅行による意識変革への期待
著
宇宙ライター・林さんの記事、宇宙旅行で実感する「地球への畏敬の念」--ベゾス氏が語る宇宙進出の意味|三菱電機 DSPACEを読みました。激しく同意したのが、末尾のくだり:
様々なタイプの宇宙船で旅行先もコースも複数選べる時代になっている。しかし、共通しているのは、「地球の外にでて、自分の眼で地球を眺める」という体験。この体験が、人々の意識を変え、様々な分断が起こりつつある地球の現状を変えてくれるのではないか。それを私は心から期待している。
弾道飛行で到達できる高度では、地球全体を視野に収めるには到底及ばないけれど、それでも一般的な航空機では不可能なレベルで地球を俯瞰する行為が、良い意味での意識変革を人々にもたらすのではと自分も期待しています。これについてはインタビュー記事、地球全体を俯瞰する視座を持ち、これからも活動していきたい ― 木達一仁|WD ONLINEで
地球を俯瞰するような視座を皆が持てれば、きっと環境問題や人種差別問題などもなくなると、楽観的すぎますが子供のころからそう考えてきました。どうすればそのような視座を持てるかについては、宇宙空間に出て物理的に地球を俯瞰するという方法と、Webやインターネットで世界ともっと繋がることで俯瞰する方法があると思っていて。
と記した通り。当面は、お金持ちのアーリーアダプターしかこの手の宇宙旅行に申し込めないわけだけど、そういった層が例えば環境問題に目覚めてESG投資を加速させるとか、そういう分かりやすい話が果たして増えるのかどうか? そしてその期待は、いずれ弾道飛行が低価格化し、さらには軌道飛行が一般化すれば、一層高まるわけだけど......まずは、弾道飛行タイプの宇宙旅行がどのような意識変革をもたらすことになるか(あるいは「もたらさない」のか)、推移を見守りたい。
ちなみに数日前、「まずは私たちの惑星を救おう」──宇宙旅行に熱心な億万長者に否定的な声多数|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイトという別の記事を読んだのですが、その中で英フィナンシャル・タイムズ紙の論説が紹介されていて、なんでも
億万長者たちは宇宙事業に取り組むもっともらしい理由を挙げているが、単に歴史に自分の名を刻みたいだけだ、と記事は指摘。一般市民が地上で気候変動と闘うために、食習慣を変え、旅行の手段を変え、消費生活を変えている今、このタイミングでやるべきことなのだろうか?と問いかけ、「住みにくい他の惑星を模索する前に、まずは私たちの惑星を救おうではないか」と結んでいる。
とのこと。この手の、地上と宇宙とを二項対立的に切り離して捉え優先度やなんかを論じるのは、もはや時代遅れではないかと自分は思うのですね。国際宇宙ステーションの周回する高度400キロ程度まで人間圏は既に拡張済みとの前提に立つべきであって......そこのところは、研究計画書でも軽く触れましたが:
従来、地上の自然環境のみを対象として扱うことの多かったサステナビリティは、宇宙空間におけるゴミ(スペースデブリ)問題に代表されるように、その対象を拡張しつつある。複数の宇宙飛行士が国際宇宙ステーションに定住する現在、宇宙は既に人類の活動領域の一部であり、サステナビリティを扱う文脈において宇宙と地上とを分けて論ずることは、もはや現実的ではない。
全人類が宇宙旅行を体験して意識変革すべきとか、そういう過激かつバランスを欠く考えは持っていないけれど(そもそも無理だろう)、現時点においてこの惑星の将来を左右することに一定の影響力ある人々の中から、少しでも宇宙旅行に参加する人が現れ、それが回り回って社会課題の解決を後押しすることを期待したいです。