Fw: コロナが迫るサステナブルへの転換「2020年は大変革の始まった年として記憶されるだろう」
著
元ドイツ外相、ヨシュカ・フィッシャー氏のニューズウィーク日本版への寄稿、コロナが迫るサステナブルへの転換「2020年は大変革の始まった年として記憶されるだろう」を興味深く読みました。
未来の歴史家は2020年を大変革期が始まった年として記憶するだろう。今年は私たちが経済システムを構築してきた方法や自然との関わり方がもたらす影響への認識が深まり、ようやくサステナブルな方向に本気で舵を切る年になるかもしない。
かもしれない、ではなくて、そうであって欲しい、と切に思いました。その昔、『アインシュタイン・ロマン』を読んで衝撃を受けた故ミヒャエル・エンデ氏の言葉、私たちは、社会的災難と環境問題的災難、この二つから一つを選ばなければならない
......その選択の時がいよいよ差し迫ってきた感があるなか、文明の持続可能性にこのコロナ禍を役立てることができるかどうか、非常に重要なタイミングと感じます。
1つだけ確かなことがある。人類は進歩を続けるものだという単純な思い込みが、このコロナ危機でようやく正されるということだ。これまで私たちは、絶え間のない経済成長から不測の悪影響が生じても、経済成長の成果によって相殺されるか最小限に抑制できると考えていた。厳然たる事実や科学者の警告を無視し、人間が自然を支配していると思い込んでしまった。
常々、経済の仕組みに関してベターではあってもベストではないという印象を抱いてきたし、右肩上がりなんてのは幻想でしかないんだ、とも思ってきたけれど。新たな経済、新たな価値観、新たな社会通念の構築を通じてしか、自然との共存共栄は成立し得ない(というか人間社会もまた自然の一部との大前提を再確認しなければならない)と思うし、その過程において科学が果たすべき役割は大きいはず。
私たちは責任と勇気を持って「大転換」に乗り出すのか。それとも、終末の時に現れる『ヨハネの黙示録』の四騎士がやって来るのを待つだけなのか。最初の騎士は新型コロナと共に既に姿を現している。
責任と勇気、か......重い。あまりに重いけれど、もう逃げられないし避けれそうにもない。そんな感想。